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このnoteにおける私について その4

自分の意志で自分じゃない自分であろうとあがき、その結果心身を病んでしまったことは前回「その3」の通りでございますよ。その内容はどうでもいいんです。もう終わったことですので。

ようやっと自宅療養~通院となった私は、まごうことなき鬱患者として自宅で何もせずに過ごしていました。家族とはよぉぉぉぉぉぉっく何度も話し合いましたよ。あぶり出されるんですよね、こうありたい自分ってね。

家族会議で「俺さあ、もうドラムを・・・」っつったきり言葉が続かず、号泣してしまったことがありました。恥かしい話ですが事実です。

背中を押してくれたのは息子でした。私の血を引いてますので当然のように音楽バカです。ただしギタリストですが。「父さん一番最初はベースだったんだから、んで歌えるじゃん?バンドやればいいんだよ」・・・ドラマーじゃない私なんて私じゃぁ・・・と、決めつけていた脳内が一瞬でド派手にスパークしました。元来どのバンドでもうるさく曲作りや歌詞について意見していました。自分の曲をやりたいという潜在意識が。。。じゃないな、顕在ですね。

自分で作詞作曲した音楽を自分で演奏するバンド。

並大抵のことじゃないことはトップレベルで知っています。ベースという楽器をなめちゃいけません。歌を甘く見ちゃいけません。そんなことは30年前から知っています。でも、やらないよりは絶対やったほうがいい。そう思えるのに多少の時間はかかりましたが。2日間くらいかな。

SNSでも堂々と書いたりしました。「俺は自分のバンドでベース引いて歌う」と宣言し、実際に楽器その他を揃えて行く過程も全部あけっぴろげ。するとご縁とは何と不思議なことでしょう。30年以上にわたる付き合いのギタリスト(首都圏在住)から連絡があり、札幌の実家でJBが塩漬けになってるから使えばいいと。・・・・こんな話ってあるのか、私は勇んで彼の実家に向かい、超軽量ハードケースに収められたフェンダーのジャズベースを手にしました。一番好きな「サンバーストにべっ甲ピックガード」です。トップ画像がそれです。今時珍しいピックアップカヴァーとブリッジカヴァーは、私の指感覚では絶対に必要なパーツです。

どれだけ練習したことでしょう。私はピックを使いません。ピチカートですので左右の指先はつるんつるんです。

信頼できる2名のメンバーを確保しました。ドラマーのIssyoh君、ギターのDiego君。三名で初めてスタジオに入ったのは2017年5月のことでした。

もお抑えられない程に曲ができます。Cubaseに毎晩向かって曲を作ります。やっぱりプログレと言うしかない曲が自然にできていきます。

さぁ過去を振り返るのはやめましょう。

私はすべてがこれからのバンド、「不呪」の主催者です。全作詞作曲であり、担当はリードヴォーカルとベース、アコギです。レコーでキングの際はドラマーにもなります。3人の限界を打ち破る音楽をクリエイトしている最中です。

そして。初のライブはワンマンで札幌のホール、スピリチュアルラウンジで決定です。2019年、3月8日(金)です。webは以下です。

さぁ、うざい自分語りはこれでやめましょう。北海道にお住まいの方がもしいらっしゃったら、ぜひおいでくださいませ。廃盤になった私のアコースティックソロCDも再発します。お待ちしています。

一番どうでもいい内容のマガジンでした。この次ですが、いよいよ「本当の自分と陰鬱な音楽=芸術」について発布してまいりますのでお楽しみに。

不呪 主催 杉山雄一


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