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このnoteにおける私について その2

ふふふ、、、まさかその日のうちに「その2」が来るたーお釈迦様でもわかんめぇ。って、そもそも誰か一人でも読んでるのかな。まぁいい、自分のために続けましょう。

当マガジンの前置き

第一回

・・・はご覧いただけましたでしょうか。いただけたってー前提で第2回に入ります。前回の投稿で「超悲惨な」初LIVEと書きました。私にとって重要な要素があったんです。悪い意味でね。

そのバンドの前任者、ドラマーM氏は、ドラムセットを持ってませんでした。(!)でもツアーがあってね、基本的なセットは私のものをお貸ししたんです。それがまた大口径のBDにロートタムがフルセット、小さいエフェクトシンバルがフロントタム上に並んでると言った、まんず世界でも珍しいセッティングだったんですよ。M氏はその怪奇セットそのまんまで見事なドラミングを披露し、その雄姿が12”アルバムの裏ジャケットにまでドッカーンと掲載されています。私の出番はそのアルバムの発売記念ソロライブだったんですよ。

意味がわかりますか?

ステージ上にはアルバムの裏ジャケット写真になってるドラムセットがそのまんまセットされてる。楽屋にまで「Mさーん」とかって歓声が聞こえてくる。そこに出て行くのはドラム暦3年未満の私です。


結論から申し上げます。すばらしい演奏力、アンサンブル、技量、センスがウリでもあったバンドに、私は頭から泥・・・じゃぁきかん、ヘドロをぶっ掛けたようなもんです。そんな時ってありがちなのがね、わけのわからない機材トラブルも相次ぐって寸法で。ステージから誰もいなくなるなんてな笑点の楽屋落ちを地で行くような現象さえありました。

その日からかなり長い期間、私はそのHMバンドで叩いていました。その悲惨ライブから何年後だったか、私はトラドラマーを依頼されます。それはメジャーデビューを目前にしてドラマーの力量に重大な問題があったPという王道プログレバンドでした。私はSのリーダーK氏に相談の上、期間限定でPのメジャーデビュー作1stアルバムのフルレコーディングと、地元:首都圏:関西圏の国内ツアーに同行することとなりました。

※後一回で過去案内は終わりますから。これを書いておかないと現在につながらないし、説得力に欠けるもんですから、ある意味仕方なく書いています。過去話って苦手でしてね、面映かったりもするんですが、お互いにもう一回だけご辛抱を。

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