恋愛コンテンツをグングン吸収した約20年を振り返る

とにかく、「恋愛」というコンテンツが好きすぎる。

恋愛すること、恋愛についてこねくり回して考えること、自分や相手の想いを分析すること、愛とは? 恋とは? などと永遠に考えること、恋愛映画、恋愛小説、恋愛ドラマ、ラブソング、ノロケ話、恋バナ、恋愛相談……。とにかくこの世の恋愛にまつわるあれこれが、大好きで仕方がない。

だから当たり前のように物心ついた頃にはすでに恋をしていたし、好きな人がいなかった期間などほぼないに等しい。そんな私が今、珍しく恋をしていない。故に恋愛について呆れるほど考える暇がある。その成れの果てがこの「なぜ恋愛が好きすぎるのか」という文章なのだ。抜かりない。

私の「感受性の強さ」は恋愛好きを支えるポテンシャルの一つだろう。

「あたしンち」の映画や友達の「両思いになったよ!」の報告で爆泣きをかます私は、感受性の強さを自覚してはいる。しかし、殊、恋愛に関しては「感受性が強い」を超えて「感受性がバカ」になる。このガバガバの感受性が恋愛好きに拍車をかけている。

思い返せば幼少期にはすでに感受性がバカになっていたように思う。

幼稚園生の頃の私は、メガネをかけていた同じクラスの男の子のことが好きだった。卒園するときには卒アルを見てもう彼に会えないことを悲観して泣いたし、卒園後に父の車で流れていたテレサ・テンの「つぐない」を聴くと彼を思い出し、後部座席で声を出さずにそっと涙した。6歳で既に「切ない」という感情を理解し、「切ない自分」に酔いしれていた。

今ほどゴリゴリに恋愛というコンテンツにのめりこんだのは10歳くらいからだった。9歳までは高橋留美子作品や人魚女が出てくるアニメ「ぴちぴちピッチ」や猫女が出てくる「東京ミュウミュウ」から特異な恋愛ストーリーに触れることはあっても、それ以外に触れられる機会が私にはなかった。なぜなら、恋愛コンテンツを阻む父親の教育という大きな壁があったからである。

「少年院いた?」と人に言われるほど幼少期のエンタメ全般のコンテンツに関する記憶がない。当時流行っていた(と最近知った)「天才テレビくん」なるテレビもジャニーズが学校に来るよ!!みたいなやつも観たことがない。みんながそういうテレビを観ていた頃、私は父に「フジテレビを観たらバカになる」と洗脳されNHKのニュースと「クローズアップ現代」ばかりを観させられていた。
加えて9歳まで20時就寝を強制させられていたので、大人への第一歩である「ドラマ」も観たことがなかった。
お小遣いも小1で月500円からスタートし、年次ごとに100円プラスされるというシステムだったため極貧。漫画や本から恋愛コンテンツを傍受することも阻まれた。
そんな環境にいたのでメキメキと勉強はできるようになり、挙句ガリガリだったので「リアルガリ勉」という称号までいただいた。

元受刑者と思われても仕方がないほど規則正しい生活を送っていた真実のガリ勉が、途端にドラマや漫画に出会うとどうなるか。感受性レベルはもう6歳で完成している。

結果的に恋愛コンテンツにトチ狂うことになった。

10歳を迎えたあたりから、父が早い時間に帰らなくなった。そして私は反抗期に突入。母はお笑い、ドラマ、映画、とにかく父が嫌うすべてのバカコンテンツ大好き女だった。
条件は揃ったのである。
ここから、父の言いつけを守らず夜更かしをしまくり、バカ番組(バラエティや映画、ドラマ)を観まくった。恋愛のいろはを学び、感受性は更に磨かれ、恋愛に興味津々の津々になった。恋愛を学ぶ意欲は途絶えることを知らず、どんどん吸収していった。そして一人の男性に出会う。おぎやはぎの矢作さんだ。

初めて結婚を意識したのは10歳の時で、それが矢作さんだった。当時「リチャードホール」というコント番組が放送されており、そこで矢作さんを初めて知った。まだ歯の矯正をしておらず、今よりもずっとたどたどしい喋り方とその愛くるしいルックス、なんだか前のめりじゃないのに常にちょうど良いポジションにいる矢作さんに母性と好意と尊敬を抱き、そのセンスに打ちのめされ、一瞬で心を奪われた。
当時「消しゴムに好きな人の名前を書き誰にも見られずに使い切るとその人と結ばれる」というおまじないが流行っていたので素直に「や は ぎ」と書いた。ドイタ小学生である。
ちなみに、その消しゴムは一個使いきる途中で精神が成熟し消しゴムに書いたことが恥ずかしくなって捨てたため、私は矢作さんと結婚できなかった。

そして同じ頃ウォークマンを母に買い与えられた。しかし音楽のラインナップはすべて母の趣味。「aikoの『今度までには』はね、お母さんの歌なんよ……」と言われたのを皮切りにaikoの沼に肩まで浸かることに。加えて「歌はただ聞いていれば良いのではなく、歌詞を解析し、文章や映像として心に浸透させるものなんだ、これが大人の音楽の楽しみ方や」と恋愛をこねくり回して考える土台ができ始めた。
今思うと「今度までには」は小学生に勧める歌ではないし、それを理解できた当時の自分の感受性にあっぱれでしかない。6歳で「つぐない」で泣いただけある。

11歳の夏、更に私を恋愛泥沼街道へ導く出来事が起こる。
夏休みに「近所の川のホタルを研究する」という奇異な自由研究をかました結果、審査員特別賞を受賞。図書券5万円分を獲得。この図書券で少女漫画を買い漁り、バイブル『僕等がいた』に出会う。これがもう、6歳の時に既に確立していた「切ないがる」習性をさらに加速させた。

恋愛コンテンツでほくほくだった11歳の冬、私は人生で初めての両思いの人ができた。好きだった男の子に図書館に呼び出されたが、なかなか本題に入らないので羞恥心が痺れを切らし帰ろうと廊下に出て歩いていると私を呼び止め、廊下で「大好きで〜〜す! 付き合ってくださ〜〜〜い!」と大声で言われ、「は〜〜〜い!」と言って色々成立したのに、その2週間後に彼が違う女の子に「好き」と書いた手紙を渡している現場を目撃して、私の両思いは終わった。
この時は随分切なさに浸った。「あの時こう言っていれば……」とか「彼と話していたあの時こう言っていればあの子のこと好きになることはなかったのカナ……」とか思って浸りに浸っていた。

もう揃った。土台だけでなく自身の恋愛までも経験してしまった私は、以降の人生にて鬼のようにすぐに人を好きになっては切ながり、分析し、妄想と思考を繰り返した。

恋愛というコンテンツがなぜ好きなのかを書く時にほぼ自伝になってしまうのは、もう私の人生が恋愛という魔のコンテンツに侵されている証拠である。今週末で25歳になるが恋愛コンテンツへの興味関心は、とどまることを知らない。もっと知りたい。もっとみたい。もっと恋愛したい。今日も明日もいくつになっても、真剣に恋愛を学び恋愛を考え、恋愛していきたい。

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