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家族を、よりよく生きるためのプラットフォームにしよう #ぼくたちが選べなかったことを選びなおすために

幡野広志さんの本を読むのは、これで2冊目。1冊目の感想は別の記事で書いた。

その本を読み再確認したことは、自分の夢は「自分の大切な人を大切にすること」。そして、そのためには「自分自身を好きでいること、健康でいること、毎日を楽しむことが必要」と書いていた。

自立したら、自分の人生は自分で選べばいい

今回、新しい本を読み、一番印象に残っているのは、次のくだりだ。

ぼくの人生(命)についての株式は、51パーセント以上、ぼくが持っている。ぼく以外の誰ひとりとして、勝手に決議することはできない。仕事、就職先、どこに住むか、誰と付き合って誰と結婚するか、決めるのはすべて筆頭株主であるぼくだ。自立とは、「自分の筆頭株主になること」なのだ。

人は自立したら自分で全てを決められるはずで、だから、家族でさえも、選び直すことができる、というのだ。

そして、もうひとつ。NASAの家族の定義についてのくだりが、実に興味深かった。NASAでは、スペースシャトルの打ち上げの際、宇宙飛行士に何かあった時にきちんと家族をサポートできるよう医療チームなどの専門スタッフと一緒に、宇宙センターの「特別室」に入り、打ち上げを見守る決まりになっているが、その「家族」が、次のように定義されているのだ。

NASAの定義は明確だ。
①配偶者
②子ども
③子どもの配偶者
までが、「直系家族」なのだ。
父親も、母親も、兄も、弟も、姉も、妹も、特別室に入ることはできない。血がつながっているはずの彼らは、みな「拡大家族」に分類されているのだ。しかも「拡大家族」には、乗組員の親友も含まれている。

続けて幡野さんがこう述べている。

家族とは「親子」の単位ではじまるものではなく、「夫婦」の単位からはじまるものなのだ。同性婚を含め、自分で選んだパートナーこそが、ファミリーの最小単位なのだ。

自分で選んだパートナーが家族。そして、だからこそ、自分とは合わない親兄弟からは、SNSで嫌な相手をブロックするように離れたらよい、というのだ。この話は、家族のせいで生きづらさを抱えている多くの人たちに勇気を与えるのではないかと思う。

自立するまで、つまり自分の生活の基盤を自分で稼いで維持できないうちは、親に依存するしかなく、そこから逃げるのはなかなか難しいかもしれない。しかし、自立しているなら、自ら、家族を選び直せばいいのだ。

結婚は人生のリセットボタン

7月21日に行われた参議院選挙で、選択的夫婦別姓が争点の1つになっていた。女性が改姓することがいまだ一般的な今の日本では、幸か不幸か、女性は結婚により、「違う人間」に生まれ変わることになる社会からの呼び名が変わるというのは、ものすごい「リセットボタン」だなと思う。

実際私も、このリセットボタンを使って、人生を何度かやり直している。

一度目の結婚は、実家と仕事からの逃避

実家は、バブルに乗じて父親が建てた100年住宅に住んでいた。しかし、バブルがはじけて父親の自営業が傾き、ローンが払えなくなり、10年でその家を手放すことになり、最後はボロい借家に移り住んだ。

それでも事態は好転せず、自転車操業となり、当時私の給料が入ると、父親の自営業を手伝っていた母親がお金の無心にくる生活だった。ボーナスも、もらったその日に全額借金返済に充てられた。このままこの家にいたら、いくら稼いでも自分では自由に使えず、親に対し不満を抱えたまま、暮らし続けないといけなくなるのか…と考え、ぞっとした。

一方、仕事でも、新卒で入社した会社で、あまり経験もないまま、ポストが空いたからと巡ってきた管理職の仕事を持て余していた。社長の期待に応えて新しい企画やサービスを考えたり、部下を育てたり、というのは、当時の自分には苦痛でしかなかった。

当時、学生時代から遠距離恋愛をしていたが、思い返すと、本当はその時すでにその関係性は破綻しかけていたのかもしれない。相手は飲食店で働いており、生活時間も休みも合わず、電話も会うこともままならなかった。結婚するときの選択肢も、私が仕事をやめて引っ越して結婚するか、別れるか、だった。

しかし、別れるという選択肢を選ぶと、待っているのは借金を抱えた親と、自分では荷の重い仕事だけ。私は結婚というリセットボタンを押し、実家から、仕事から、「円満に」離れたのだ。

2度目の結婚で、ようやく「家族」を作れた

そうして始まった結婚生活だったが、一緒に暮らしても変わらない生活時間や休みのズレ、相談なくされた転職、最終的には価値観の違いなどから、10年に満たず終わりを迎えた。家族というよりも、同居人のような関係性だったのかもしれない。

結局、離婚して旧姓に戻り、再び人生をリセット。今のだんなと出会い、結婚して、また改姓。3つ目の苗字になり、ようやく、自分を好きになれた。今の名前が一番しっくりくる。大切にしたい誰かと一緒にいたら、自分自身も大切にできるようになるということを、だんなが教えてくれた。

だんなとつきあい始めた当初は、私自身やたら自己評価が低く、自分を卑下するような発言ばかりしていた。すると、決まって「俺が好きな人のこと悪く言わないで」と怒られた。毎日、かわいい、好きと言ってくれた。どんな私でも受け入れてもらえて、私は初めて自分で自分のことを好きになれたのかもしれない。

家族を、よりよく生きるためのプラットフォームに

家族というのは、血のつながり関係なく、互いに異なる生い立ちの2人が、2人でよりよく生きるためのプラットフォームなのだと思う。就職と同じく、もはや終身雇用のように、一生添い遂げる必要はない。

ただ、プラットフォームは日々メンテナンスをしなければ、あっという間に居心地が悪くなる。それは所詮他人だからだ。生きてきた背景が違う2人だから、互いの文化を持ち寄り、新しい2人の文化を作っていく、という意識が必要なのではないだろうか。

プラットフォーム(誰と生きるか)を選び、そのプラットフォームを日々メンテナンスしていくことで、よりよく生きていきたいと改めて思えた。

この記事は、今日誕生日の最愛のだんなに捧げます。誕生日おめでとう!大好き!

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