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【第三夜】ごちそうさま

 真夜中に目が覚めた。

 枕元の時計を見ると午前2時。ここ数週間、毎日夜泣きが続いている。そして先に目が覚めるのは必ず自分の方だった。隣で寝ている結花理は相変わらず起きる気配がない。

 仕方なくベッドから這い出しベビーベッドに向かう。泣いている娘を抱き上げてあやす。もちろんすぐに泣き止む気配はない。

 ベビーベッドにはもう一人スヤスヤ眠っている娘がいる。2人同時に泣かれたら埒があかない。

 俺は娘をブランケットにくるんで胸に抱き、寝室を出て一階にあるリビングに向かった。

 このところ、毎日こうだ。いくらあやしても娘は泣き止まない。朝までだ。ソファーに座りうつらうつらするが、また娘の泣き声で現実に引き戻される。テレビの砂嵐も効果がない。返ってその音は自分を苛立たせるだけだった。

 リビングをうろうろ歩き回りながら、なんで俺ばかり……とまたイライラした。

 佐知子なら……俺より先に気づいて、俺を起こさないように子供を連れ出してくれたはずだ。

 佐知子なら……朝俺が起きた時に

「昨日ちゃんと眠れた?夜泣きうるさくなかった?」

と眠い目をこすりながらいってくれたはずだ。

 佐知子なら……。

 ……佐知子、ごめんな。俺にこんなこと思う資格ないよな……。

 泣き止まない我が子の体温と重みを感じながら、胸がきしんだ。

「また夜泣きですか?」

 会社で朝からあくびを連発している俺に部下の吉田が声をかける。

「ああ、もうこのところ毎晩だよ。朝まで泣き止まないから寝れたもんじゃない……」

 さらにあくびをしながらぼやく俺に吉田はニヤニヤしながら

「ま、若い奥さんもらったんですから、そのくらい我慢しなきゃ~。それに待望の我が子でしょ~?そんなこといってたら佐知子先輩に怒られますよ~、あっ……」

 そこまでいって吉田は急に口をつぐみ、俯いた。俺も何も言わずにパソコンに目をやった。会話はそこで途切れた。

 吉田は大学の後輩でもあり、佐知子のことも知っていた。俺が若い女と浮気して子供を作り、離婚してその浮気相手と再婚したことを……会社で唯一知っている。

 愚痴をこぼせるのはありがたいが、弱味を握られているようで、たまに疎ましく思うこともある。

「なあ吉田、今夜飲みにいかないか?」

 気まずさを振り払うように明るく吉田を誘う。

「すんません!今日は彼女とデートなんで」

 吉田は顔の前で手をあわせつつも、いつも俺の誘いを割と平気で断わってくる。まったく……上司を、先輩をなんだと思ってるんだ……。

 でも吉田には強く出られない。あきらめてまた仕事に戻った。

 帰宅すると、結花理は居間でテレビを見ながら「おかえり」といった。

「飯は?」

「また食べて来なかったの?」

 結婚当初、妊娠中はつらいだろうと家事の手抜きを大目に見ていたら、子供が産まれてからも結花理の手抜き具合は変わらなかった。

「カップラーメンなら買い置きあるからお湯入れて食べて」

 結花理が笑顔で言う。

「いらない」

 吐き捨てるように言って、また外に出た。歩きながらタバコに火をつける。

 佐知子なら……またしても仕方のない回想にとらわれる。

 佐知子は自分も仕事をしているのに、俺が帰る時間までには料理を用意してくれていた。帰ったら、料理を温めて出してくれた。ごはんを食べる俺の横に座り、お茶を飲みながら俺の話を聞いてくれた。俺は……それを当たり前に思っていた。

 駅前まで戻り、洋食屋に入った。オムライスを注文する。無心で食べ終えると、自然と手をあわせて「ごちそうさま」と呟いていた。

「……ははっ」

 その台詞を、結花理には一度も口にしたことがないことに気づく。思わず渇いた笑いが漏れた。

 ああ……佐知子のオムライスが食べたい。

 無性に佐知子の味が恋しくなっていた。

【第四夜】計算違い>

#小説 #結婚 #子供 #料理 #オムライス #育児

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