「世界」はきっと、日本人を消そうとしている

近年のありえない温暖化もありえない豪雨も、頻発する地震も、私には「世界」がいよいよ、人を殺しにかかってきているように思える。

人は身勝手な生き物だ。人のために自然を壊し、人のために自然にないものを創り出し、人以外の生き物をとことん、ないがしろにしてきた。

特に日本人の身勝手さが、近年目に余る。

勝手な商売の都合で輸入した外来種。それが成長しペットとして飼えなくなると勝手に野に放つ。そして外来種は繁殖し、人に被害が出始めた。さらには在来種が絶滅の危機だとかいって、今度は駆除しようと躍起になっている。

イノシシの駆除も同じだ。畑を荒らしにくるイノシシは人に都合が悪い。そうなるとわざわざ森の中に罠を仕掛けにいき、捕獲する。

それがゴールデンタイムにテレビで、バラエティとして垂れ流される狂気。

そんな無自覚な日本人に「世界」は匙を投げたのでは、と思えてならない。1995年 阪神・淡路大震災、2004年 新潟県中越大地震、2011年 東日本大震災、そして2016年 熊本地震。またここ数年ですっかり四季は崩れ、6月は梅雨なのに雨がなかなか降らない。かと思えば、7月に予測不能のゲリラ豪雨。それは、平成29年7月九州北部豪雨、平成30年7月豪雨といったワードがウィキペディアに収録されるほどだ。

一方で、生き物の使命であるはずの「種の繁栄」という本能が、日本人から消滅し始めている。少子化はその結果ではないのか。生涯未婚率はあがり、晩婚化も進み、LBGTの市民権拡大により、男女が種の繁栄に励むという、生き物に課せられてきたはずのミッションが消え、命のリレーが途絶え始めた。これも「世界」の仕業なのかもしれない。

外から内から、とにかく日本人を減らしていく「世界」の日本人消滅計画。これを察知した日本人は、長生きすることでなんとか抵抗しているように見える。そして、そんな社会の崩壊に苦しまずに済むよう、最期は認知症になって人生を閉じるのだ。しかし、これにより社会のバランスはますます崩れていく。支えられる側の人間ばかりが増え、支える側の負担は増え続け、支えること自体が放棄されていく。老人ホームや病院は、支えられることを家族から放棄された人たちの行き着く場所のように思える。

日本人を残したいなら、そろそろ自分のことだけ考えて好き勝手に生きるのをやめた方がいい。都道府県を半分くらい減らして(建物等を全て壊して)、その土地を自然に返す。そして、一回人員配置を是正するのだ。若者は均等に残った県で分配し、支える側の人間の有効活用をするしかない。大規模なワークシェアリング、国家プロジェクトだ。

……などと考えてみたが、もちろんそんなことになるわけがない。行くとこまで行くしかない。自然淘汰されていき、最後は大都市だけが残る。そして最後は、支えきれなくなって滅ぶ。自然災害で破壊されるのが先か、日本という社会が破綻するのが先か、それだけのことだ。

今日も外はバカみたいに暑い。夕方急にゲリラ豪雨がやってきた。止んだのに気を許し買い物などしていたら、ゲリラ豪雨第二弾。スーパーから出られなくなった。折りたたみ傘を買ったが意味をなさない豪雨と暴風、そして落ちまくる雷。やっぱり、日本人を殺しにきてるとしか思えない。

とりあえず殺されないように、雷が去るのを待つか。

#ひとりごと

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