ウォークイン

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 金持ちの娘と恋に落ちた。どうせ無理だろうと思いながら「娘さんを下さい」と云いに行ったら、恰幅のよさそうなおやじさんは「ええよ。持って行き」という。嘘でしょ。自慢じゃないが、こちとらなんの資産も才能もないただのフリーランス。といえばまだ聞こえはいいが、依頼が来たときだけ仕事をしてふだんはだらだらと本を読んでいる半失業者。正直に実情を告白すると、おやじさんも「うちもただの成金。閨閥がどうの学閥がどうのややこしいことは鬱陶しい。会社も儂が死んだら畳む。あんたは欲をかかず遺産の管理だけしてくれたらええ」といって、結婚記念にポンと家をくれた。正確には金と土地をくれた。
「さあ、どんな家を建てましょう」と建築家がいう。困った。自分のイメージの中に持ち家なんてものはない。元お嬢様に任せると、変なところで吝嗇な嫁は「ウォークインウォークインとにかくウォークイン」というのでウォークインでいくことにした。
「ところでウォークインてなんですか」
「ウォークインクローゼットは歩いて入れるでっかい納戸のことですな」
「なんだ納戸か。そんなものなら妻と相談していくらでも拵えてくれ」
 ウォークイン屋敷ができた。玄関を入ると、いきなりウォークインシューズルームがある。何百足の靴に囲まれ、急ぎ足で通り抜けると、次は第一ウォークインクローゼット、続いて第二ウォークインクローゼット、第三ウォークインクローゼット。この家の主人は人ではなく服なのかもしれない。妻は一度買った服は絶対に処分しないのだ。そのためウォークイントレーニングルームもある。体型を維持するためだ。突然冷気に襲われたらそこはウォークイン冷蔵庫である。なぜ冷蔵庫の中に歩いて入らなければいけないのか意味がわからない。食材を持ち出しウォークインキッチンで料理を作るとウォークインダイニングに出す。このでかい屋敷で、なにが悲しくて立ち食い立ち飲みをしなければならぬ。リビングは六畳しかなく、中央に炬燵がある。私たちは一日のほとんどをこの炬燵で過ごしている。狭いほうが落ち着くのだそうだ。私はウォークインパソコンで仕事をする。キーボードは床だ。このショートショートを書くのにどれだけ走り回らなければならないか、想像を絶する運動量だ。オチはないが、これで終わる。疲れてこれ以上足が動か

(了)

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