【ショートショート】路傍の白骨
なんのために生きるのか。
というのが、修一の幼い頃からの疑問であった。歳を重ねるごとにその思いは強くなる。
学校では、老人のために生きるべきだ、と繰り返し教える。教師はすべて老人である。
修一が生まれた西暦2000年、日本の人口構造が逆ピラミッド構造になることはすでに予測されていた。生まれたときから破綻は織り込み済みだったのである。
修一は終末曲面をすべり落ちるようにして生きてきたが、どう見ても、2055年の今日、社会は破綻している。
幼い頃からいくつもの職場を掛け持ちさせられ、馬車馬のように働き、超高齢社会を支えた。自分の銭など持ったことはない。一方で医療技術は画期的に進み、介護される老人の寿命は延びる一方だ。
すべての日本人は七〇歳になったら、自動的に介護事業に従事させられる。老人の定義は日々更新され、もはや八〇歳や九〇歳では老人と認めてもらえない。百歳以上になってようやく介護される地獄絵図だ。
修一もあと十五年で介護現場に放り込まれる。その前に棄民になった。
住み処もなく、国家の保護もなく、全国を周遊する。
修一の目の前でコンビニの扉が開く。
労働現場はつねに人手不足。店長は目を真っ赤に腫らして、ぶっ倒れる寸前だ。
「仕事、させてもらえませんか」
と修一はいう。
「銭、ないで」
「かまいません」
店長は修一が棄民であることを一瞬で見抜くが、「任せるわ」といって倉庫兼ねぐらに潜り込む。
修一は商品を配置し、レジを打ち、データを見ながら商品を発注する。店長が起きてきたら交代。自分も倒れる。これを繰り返し、店長が正気に戻る頃にはかるく一週間はたっている。
銭をくれる店長もいるし、モノをくれる店長もいる。
修一は次のコンビニを目指す。コンビニだけは日本全国にあり、最後のライフラインとして機能しているから、生きるのには困らない。
こんなことをしていてどうなるのかとおもうこともあるが、そもそもなんのために生きているのかわからないので、棄民の生活をやめられない。ひとりで生き、力尽きたら、路傍で死のう。
棄民は老人に嫌われる。
コンビニを出た修一は、鋼鉄製の杖を振り上げた暴走車椅子軍団に追われて、命さながら逃げまどった。
修一のような生身の人間より、高度に機械化された老人のほうがはるかに高速で強い。
杖が打ち下ろされる。がすがすと身体に刺さる。
「この勝手もんが」
「介護もせんと」
「自分のことだけで」
「子どもも作らんと」
「ひよっこが」
修一は路傍で死ぬとはこういうことかと悟る。しかし、人間のまま死ねる自分はまだ幸せではないかとおもい、不気味な笑みを浮かべたままこときれる。
(了)
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