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【SS】泡風呂

「今日は泡風呂よ」
 と妻が言った。
「うちにそんな洒落たものあったっけ」
「これよ」
 赤く丸い形の石けん。
「これを蛇口の下に置いておくと、水圧でどんどん泡が出るらしいの」
「らしいのって、実験台かオレは」
「いいからいいから」
 石けんと水中メガネを渡されて、風呂場に放り込まれた。

 湯を張っていない湯船に体育座りするのは、なんだか情けない気分だ。しかし、泡風呂の効果はすごかった。
 蛇口をひねったとたん、みるみるうちに足下から泡が膨れあがってくる。首の高さを超えたのであわてて水中メガネをかけた。
 目の中に泡が入ってくるのはイヤでしょと言われ、冗談だと思ったのだが、マジだったらしい。泡は際限なく増えていくので私はすぐに立ち上がったが、それでも追いつかない。とうとうあたりは真っ白。
 どこまで行くんだ、これ。
 と言いたかったが、口を開けると泡が入ってくるので、黙っているしかない。
 そのうち、狭い風呂場は泡で満ちてしまったらしく、今度は密度が濃くなってきた。
 ふと気づくと足下に床がない。
 ええーっ。
 対流ですかこれは。
 上になったり横になったり下になったり。
 上下左右の感覚をなくしているのでよくわからないが、泡といっしょに風呂場の中をぐるぐる回って、そのうち意識が遠のいた。
 泡はきれいに消え、風呂一面にバラの花びらが散っていた。石けんが赤く見えたのはこの花びらのせいらしい。
「お風呂どうだった」と聞かれ、私は「いい匂いがした」と答えた。

(了)

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