肩たたき

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 内村はぽんと肩を叩かれ愕然とした。
 それまでの三十年間が走馬燈のように目の前を流れ、失神しそうになった。
 肩を叩かれるというのは、ここを出てよそに行け、ということだ。天下りである。
 もとより自分に事務次官に上り詰めるほどの資質があるとは思っていなかったが、苦労に苦労を重ねて入省した役所をこんなに簡単に追い出されてしまうとは。
 おれはいったいなにをやったんだ。
 誰に潰されたんだ、とおそるおそる振り返ると、顔を真っ赤にした酔っぱらいが、彼の肩に捕まり、捕まりきれずにずるずると崩れ落ちていくところだった。
「なんだ……」
 内村は、学生時代の連中とひさしぶりに飲みに来ていたことを思い出した。おれは神経質になりすぎている……早めに帰宅して倒れるように眠り込んだ。
 翌朝、真っ青な空の下、元気よく登庁していくと、もう内村の席はなかった。
「え、なに」
「おまえ、昨日、肩を叩かれていたじゃないか」
「いや、あれは単なる酔っぱらいで」
「酔っぱらいだろうとなんだろうと、役人が一度後ろをとられたら終わりなんだよ」
 理由にもならない理由で追い出されてしまった。官僚に対する悪意しか感じられない世相だから、天下りポストなんてものもない。たんなる追放である。
「あー、出てきました。私物を段ボールに入れて移動中です。これからどうされるんですか」
 いきなりビルの前でマイクを突きつけられ、内村はどこかで見た風景だなあと感じた。
 あ。リーマン・ブラザーズ。
 ここの運命も風前の灯火なのかなあと、内村は、出て来たばかりの財務省を見上げた。
 転職屋が「ええとこに押し込みまっせ」と耳打ちして名刺をくれた。

(了)

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