はしりや

「あんた、ゆっくり走りや」
 電話をとるなり、いきなりそんなことを言い出すのは身内に決まっている。関西で暮らす母親だった。
「なんのことや」
「試してガッテンでいうとった。顎あげてな、走るんでもなく、歩くんでもなく、ゆっくりゆっくりいくんや。そしたら、体にものすごくええて」
「そらええやろ」
「脳も活性化するて」
「何が言いたいねん」
「いや、そういうことやなくて、ほんま、いくらでも走れんねん」
「それはええけど、いま携帯か」
「なんでわかるん」
「走ってるんやろ」
「そや。あんたも走り。もう楽で楽で。いくらでも走れるわ」
 洗脳されやすいにもほどがある。が、べつに害もなかろうと思うてほっておいたら、二週間ほどたってトントンとノックの音がする。
 母親であった。
「あんた、ずっと走ってたんか」
「そやっ」
「なにしにきてん」
「近所ばっかり走ってても退屈やから東海道走ってきたわ」
「ちゃんとものは食うたんか? 夜は寝たか?」
「活性化しているからそんなんはええねん」
「ええことあるかっ」
 無理やり飯を食わせて、蒲団に包み込んだらあっという間に寝てしまった。医者から太れ太れと言われているのに逆効果もいいところだ。
 骨と皮だけになった母親は、翌朝、元気に飛び起きると、
「ほな、帰るわ」
 と言って、駆けだした。
「待てー。待たんかー。新幹線で帰れー」
 待つわけがなかった。
 こっちは太っている。追いかけても追いかけても、追いつかない。
 とうとう品川で捕まえて、ぜいぜいいうて、新幹線に放り込んだ。
「ど、どこがゆっくりじゃ、あほんだらー」
 帰りは山手線に乗って、と頭は考えているのに足が勝手に駅から離れていく。
 顎があがる。
「うわー、これ、伝染性やがな」

(了)

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