座っていた男

 失踪というのでもないけど、なんとなく帰りそびれて十年目。
 とうとう家の前まで帰り着いた。
「長かったなあ」
 と自嘲して、缶コーヒーを一口。
 おもむろにインターフォンのボタンを押した。
「どな」
 た、という音が途切れた。
 妻がカメラを見たのだろう。
「ただいま」
「あんた……」
 玄関が開いて、妻が顔を覗かせた。
「あんた、なにしてんねん」
「帰ってきてん」
「なんで」
「なんでて」
「こっち来てみ」
 裏庭に通された。
「ちょっと覗いてみ」
 居間に中年のおっさんがいる。
「誰や。あ。再婚?」
「再婚ちうか、あんたがおらんようになった頃、突然、訪ねてきて、あんたから買ったいうて」
「なにを」
「だから、全部」
「この土地も?」
「土地も家もわたしも子供もぜーんぶや」
「どんな取引やねん、それ」
「ないか」
「ないわ。居抜きで家族を買うなんちう話」
「でも売ったんやろ」
「売ってない。顔もしらん」
「うそ……」
「それからずっとおんのか」
「ずっとおる」
 難儀やなあ。
 私と妻はそれから夜になるまで庭にひそみ、おっさんが眠ってから、家の外に放り出した。
 その後のおっさんの消息は、知らん。
 ひょとして自分の生き霊やったのかなあ。鏡の中の顔はあまりにもあのおっさんにそっくりだ。

(了)

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