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三月出口

 六月に入り、空気が梅雨でじめじめしてくると、シーズンデパートの宝石売り場はざわざわする。
 また、今年も六月の奥様があらわれるのではないか、と店員たちが噂しあうのだ。
 デパートにはひとつの入り口と十二個の出口があった。どうして非対称なのかというと、出口は一月から十二月まで好きな出口を選ぶことができるからだ。
「あ」
 と、静香さんが目を見開いた。
 水色のワンピースを着た奥様が足取り軽くやってくる姿が見えた。
 奥様は六十歳くらい。わたしはもういいの、が口癖。
「蒸し蒸ししてきたわねー、今年も」
「いらっしゃいませ。ほんとでございますねー」
「暑いとだんだん元気がなくなってくるの」
「奥様は充分お元気そうに見えますわ」
「ほほほ。なにいってるの、こんなおばあちゃんに。わたしはもう充分生きたから、あとは好きなことだけして過ごしていたいの」
「理想でございます」
「それでね」と奥様はにっこり笑った。「夫が、誕生石を買ってもいいっていうものだから」
「真珠でございますか」
 静香さんは毎年のセリフを繰り返した。
「そうなの。いつも真珠ばかりで悪いわね」
 奥様も笑った。
「そんなそんな」静香さんははやくも真珠製品を並べながら如才なく対応した。
 真珠のネックレス、お買い上げ。
「あの……」と静香さんはおずおずと聞いた。
「今年もお帰りは?」
「三月出口よ」奥様は平然という。「わたくし、暑いのも寒いのも好きではなくて。三月はいい季節よ」
 でも、七月から三月までの時間が消えてしまいますよ、と静香さんは口に出さずにおもう。
 奥様は毎年、蒸し暑くなった六月に来て、まだすこし寒い三月に帰っていく。奥様にとって一年はたった三ヶ月しかない。
 奥様は「では、また来年」といって、弾むような足取りで、三月出口の回転扉に吸い込まれていった。

(了)

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