芝居と喉飴

(全文、無料で読めます。投げ銭歓迎。)

 はじめての芝居小屋へ行くために、知らない道を急いでいた。
 途中で喉が渇き、自販機にお金を放り込んだ。いつもコインを入れてから品物を選ぶ。
 しかし、その自販機には商品の展示がなかった。実物も名前も値段も。
 じゃあなぜ自動販売機かとわかったかというと、それらしい大きさをしていて、コイン投入口があったからである。
 ぱさっ、と軽い音がして、なにかが落ちてきた。
 取り出し口に手を突っ込むとあきらかに飲み物ではない。手触りからして袋。
 のど飴だった。
「ああ、これも欲しかったんだ」と思い、とくに疑問も抱かずに劇場に駆け込んで、なかに設置してある割高な自動販売機でお茶を買ったが、いまから思うと、あの機械はなんだったのだろう。
 芝居のタイトルは「自動販売機」で、緞帳が上がると、役者の人形を飾った巨大な自動販売機があった。
 偽のコインを入れて、どんどんボタンを押していくと、役者が滑り出てきて、その日の芝居が始まるという趣向だ。
 道ばたの自販機もどきもこの仕掛けに連動した疑似イベントだったのかもしれない。が、あの道は芝居に関係ない人も通行するだろう。やっぱり無関係か。
 あのとき通った道が劇場の一部だったということに気づいたのは、ずっと後年のことだ。
 劇場「自動販売機」は、こけら落としに「自動販売機」という芝居を上演してから、ずっと拡張を続けてきたらしく、ついにうちの近所にまで触手を伸ばしてきたのだ。
 まさか芝居小屋に地上げされるとは思いもよらなかった。
「土地家屋をお売りいただきたいのですが、そのあとはいまのまま住んでいただいて結構です」
「それは……所有権だけ移転するということですか」
「そういう理解でかまいません」
「で?」
「劇場の中に住むのですから、あなたもスタッフあるいは出演者のひとりということになります」
 以来、十数年ふつうの生活を続けている。とくになにかを要求されたことはない。しかし、私はすでに演劇の一部なのだ。どういう形でかかわっているのか、想像もできないにもかかわらず。

(了)

続きをみるには

残り 62字
この記事のみ ¥ 100
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

新作旧作まとめて、毎日1編ずつ「朗読用ショートショート」マガジンに追加しています。朗読に使いたい方、どうぞよろしくお願いします。