深水遊脚

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うわのそらという自由

「うん」と言う代わりに「はい」と言ってみる飛行機雲を目で追っている 未補さん うたよみん2018年11月の作品より  一読して伝わるものがあります。「うん」「はい」などの呼びかけへの応答の言葉は読むものに強い関心をもたらし、呼びかけられた主になったように歌に入って行けます。加えて、上の句全体で急に冷めた関係性を表しているように思えます。これはわたしの感覚ですが、「うん」は何でも共有しあえる、好きなことも嫌いなことも大体一緒の、ごく親しい間柄でのうなずきで、「はい」は相手の

    • 少し軌道修正

      始まったばかりで軌道もなにもないですが… 「○○さまの歌より」というタイトルで今後続けると、びっくりされる方も多いかと思いますので、今後は題名を考えて付けることにします。 なにぶんツイッターにどっぷりはまっていて、このくらいの長さの文章でもその延長上で書いてしまいがちですが、書いた文章を象徴する短い題がついていると、そのぶん読みやすくもなると思いますので。 歌はしばらくの間、ツイッターの「短歌を読みに行きます」というタグにいいねを下さった方で、まだ感想を書いていない方の

      • ともえ夕夏さまの歌より

        消しゴムのケースをはずすやうにしてまだ真っ白な吾に驚け (ネットプリント「羅曼-L`Amant- Vol3」連作「十七而従心所欲」より一首)  結句の「吾に驚け」にしっかり焦点が定まっている、いい歌だなと思います。この直球を相手にぶつける情熱的な誘いはもちろん、主体が選んだ唯一無二の相手に、存在の全てをぶつけるべく為されたのものでしょう。「真っ白な」部分をみせようとするのは、余程心を許したときであり、またしっかりと自分に向き合って欲しい、自分だけに向き合って欲しい、そんな

        • 始めます

           アカウントだけ取得して長らく放置していたこの note ですが、やりたいことが出来ました。短歌の感想です。  一昨年までは短歌、現代詩、小説、川柳を少しずつかじりながら好き勝手に書いていましたが、昨年からほぼ短歌に落ち着いています。自分に一番あっていると思い始めているところです。好き勝手に歌作りをしているのは相変わらずです。些細な意地で、毎日投稿していた「うたの日」もやめてしまいました。ただ、自分の考えや感性だけではやはり限界があります。人の歌も読む必要があります。好きな

        うわのそらという自由