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直木賞選考会の夜に。

今日、2019年1月16日は、第160回直木三十五賞の選考会であった。
私の書いた『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)はそのなかの候補となり、まあこういうことは滅多にあることでもないので、色々書いておきたいなと思った。

今回の候補者5名の中で、間違いなく私がいちばんおしゃべりですね。ええ。でもせっかくなので、書きます。

受賞作は真藤順丈さんの『宝島』(講談社)。

風が吹いている。いい風が吹いていますよ。

実のところ、自作の落選に関しては悔しいという気持ちが全然ない。(元々森見さんのファンなので「ああー熱帯も一緒にー」という気持ちはちょっとある)
悔しさが湧いてこないのは、なぜならたぶん、真藤さんが私と同じ〝戦後〟をお書きになったからだと思う。それも、私は「現代の日本人が戦後のベルリンを」、真藤さんは「現代のヤマトが戦後のウチナーを」書いた。
自分が体験していないことに魅力と語るべき物語を見出し、心血を注いで書き上げた気持ちを、たぶん私は理解できるし、真藤さんの受賞に僭越ながら共感できたからかもしれない。

『ベルリンは晴れているか』を、そうは読まない人もいるかもしれないけれど、私は「戦争の爪痕と、人間は「差別をしていい」と許可されると、どこまでも残酷になれるのだということ、そして人間それぞれの良心」について書いたつもりだ。
今回の候補作には、今村翔吾さんの『童の神』(角川春樹事務所)があり、こちらも被差別者の苦しみや反抗について描かれている。
真藤さんの『宝島』は沖縄の苦しみを。今も続く終わらない「戦後の爪痕」を。アメリカと「ヤマト」が沖縄にしている仕打ちを。

どれも現代に通じるテーマだ。

この重たい題材を扱った三作品に加えて、垣根涼介さんの『信長の原理』(KADOKAWA)は組織の在り方や統計などを用いて、誰もが知っている信長という歴史上の人物を使い、普段本を読まない人でも興味を持てるような、間口を広げてくれる作品だったと思う。

森見登美彦さんの『熱帯』(文藝春秋)は、物語を読む喜び、物語とともに迷宮で遊ぶ楽しみ、何度でも迷い込めるお話の素晴らしさを再び教えてくれた。言葉の豊かさよ、小説表現の美しさよ。

選考会までの期間は、一ヶ月以上あった。その間、この五作品をならべて、なぜ優劣をつけられなければならないのだろう、と思うこともあった。
(今更だけど、新人賞以外の文学賞は公募ではないのです)

みんな、これらの候補作の中に、それぞれが愛せる作品を見つけてくれればいいなと思います。たぶんあると思う。そして読んで、自分自身の心の色を感じ取ってくれたら、きっとこの嵐のような、候補の通知から選考までの、面倒で騒がしく華やかな日々も報われるんじゃないかなーと、思います。(髪を強風でぐしゃぐしゃにしながらお送りしています)

『宝島』ご受賞、本当におめでとうございます。今、選ばれてよかった。きっとたくさん読まれて、沖縄に思いを馳せる人が増えるでしょう。素晴らしいことです。良い風が吹きますように。


ああ、すごいえらそう。えらそうだけどnoteあると書いちゃうもんね。
えらそうでごめんなさいよ!!!

選考委員の先生がた、おつかれさまでした。もう海外舞台の作品はうんざりかもしれませんが、勘弁してくれと言われてもたぶん書きます。亥年生まれらしく猪突猛進捲土重来、引き続きよろしくお願いいたします。



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