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マントヒヒは存在しない

マントヒヒは存在しない説

「マントヒヒ」という動物がいる。これはしりとりで「ま」がついた場合などにはよく出てくるのだが、不思議な事に、マントヒヒがどんな動物なのか、どこにいるのか、食べたらうまいのか、おいしいのか、どっちだ、ということはほぼ知られていない。この事実から、「マントヒヒは実は存在しないのではないか」という説を提唱したのは、アメリカの生物学の重鎮、ボブ博士だ。ボブの説はジョン、パトリック、メアリーなどの学者に受け入れられたが、エミリー、トム、アレックスなどには否定され、大論争を巻き起こした。

秘密結社MMM

200年にわたる大論争のすえ、1965年にFBIによりこの説は違憲とされ、決着がついたかにみえた。しかし、ボブのひ孫であるマスター=D=ペペロンチーノが、「マントヒヒは存在しない」をスローガンとする秘密結社を立ち上げた。その名はMMM(マントヒヒ・メイヨウ・メンバーズ)。MMMは、マントヒヒはヒヒと同種であり、あえてヒヒをヒヒとマントヒヒに分けるのはヒヒのしわざであり、ヒヒが世界を征服して、消費税廃止を実現しようとしているのだ、と主張している。いうなれば陰謀論であるが、MMMは「コロナは存在しない」「ワクチンは毒だ」「地球は平面だ」「ぼくはうなぎだ」などは信用せず、あくまでもマントヒヒが存在しないことだけを信じている。

一時期「コンニャクはやせる」かどうかで内部対立がおこり、蒟蒻痩身會(こんにゃくそうしんかい)という分派が生まれたが、のちにMMMに合流した。その後は組織は安定しており、会員の仲は良好で、年に一回の会員旅行で伊東のハトヤに行ったり、行川アイランドに行くなどして親睦を深めている。しかし、動物園でマントヒヒと書かれた看板を見ると突如狂暴化し、会員はみな頭から溶岩を噴出させて怒る。パイナップルケーキを食べるか、「マントヒヒ」の「マント」の部分を消すと、元に戻るという。

マイケルさんの受難

溶岩を噴出させるという特異な性質から、MMM会員に対する差別は根強い。1800年時点では、MMMはアメリカの705の都市に拠点を持っていたが、施設が住民に破壊されるなどして、最近になって[いつ?]その数を703にまで激減させている[要出典]。会員のマイケルさんは「来る日も来る日も近隣住民にマントヒヒ!マントヒヒ!と罵声を浴びせられ、気が狂いそうだった。仕方なく頭から溶岩を出すのだが、建物を燃やしてしまうので、さらに嫌がらせはひどくなる。カバンの中はマントヒヒ!と言われたときのためのパイナップルケーキでいっぱいで、他のケーキを入れるスペースなどなかった。パイナップルケーキにかかる費用は生活費の78%にも及んだ。とても耐えきれず、MMMからの脱会を考えるようになった」と悲痛な表情で語った。

しかし、MMMからの脱会は容易ではない。脱会を望む会員には、MMMの会長から難題が課せられる。それは、期日までに会長のもとに「仏の御石の鉢」「蓬莱の珠の枝」「火鼠の皮衣」「竜の頸の珠」「燕の子安貝」のいずれかを持ってこなければならないというもの。この難題を達成できたのは、創設以来、燕のフンを提出したジョージさんと、寺から持ってきた鉢を提出したドナルドさんの2人のみ。さらに脱会を企てたが難題を達成できなかった場合には、「ホタルイカとホタルイカモドキとニセホタルイカを見分ける」「目玉焼きをおいしく作る」「火災報知器のものまねをする」などの過酷な罰が課せられる。このことも、脱会を困難にしている。マイケルさんも目玉焼きが作れず、脱会を断念。いまはふつうの街ではなく、MMMがジャングルの中に人工的に造ったボブズタウンで暮らしている。

ピンチをチャンスに変える

一方で、MMMに入ってよかった、という人もいる。小笠原諸島の父島で中華料理店「牛人軒」を営む、ジョン=パトリック=太郎さんだ。

日本支部の太郎さんはMMMからの脱会を試み、蓬莱の珠の枝を探し求めたが見つからず、職人に偽物を作らせ提出。しかし、職人に給料を与えていなかったため、抗議のLINEが送られてきたことで偽造がばれ、火災報知器のものまねを東京都新宿区の「そっくり館キサラ」で行うことを強要された。初めのうちは恥辱に耐えかね、他殺まで考えるほど精神的に追い込まれたという。

しかし、キサラの常連であったグリーンさんが太郎さんの芸を気に入り、太郎さんに「エッチだねえ!」「うちに泊まりに来ない?」などの励ましの言葉をかけるようになる。その後「うちのフランス料理店で働かないか。給料安いよ仕事きついよ休みないよ」と打診され、太郎さんは即座に住み込みで働くことを決めた。客に料理を運ぶ際に「煙を感知しました!ジリリリーン!ジリリリーン!」と叫んでみたところ、大ウケまたは大すべりするようになり、恥ずかしさが自信に変わって行った。そしてついに太郎さんは自立を決意し、ポルトガル・リスボンのイタリア料理店で5年間日本料理を修行。店で狼藉をはたらいたため沖ノ鳥島に流刑となったが、得意の背泳ぎで父島まで到達し、中華料理店をオープン。特に中華料理の修行をしていないせいか、料理は特に美味しくないが、「美味しくないけど店主がうるさく、マントヒヒは存在しないとしきりに言ってくる気味の悪い店」として島民に愛されるようになった。

看板メニューのボルシチをふるまい、取材班を困惑させた太郎さんは、自身の人生について「マントヒヒは存在しない!マントヒヒなど存在しないのだ!飛べ!飛ぶのだ、囚われの小鳥よ!邪悪なるヒヒに人間たる所以を奪われし哀れなコモドドラゴンたちよ!きみには太陽が見えているか、月が見えているか!ジリリリーン!ジリリリーン!」と語り、取材班を困惑させた。

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