なぜ人は本を出すと宣伝botと化すのか

それまで面白ツイートで楽しませていたアカウントが、本を出した途端、宣伝botと化す様を私は幾度となく見てきた。自著に対する絶賛ツイートをリツイートしまくり、何の脈絡もなくすべてのツイートにAmazonの購入リンクを貼る。オモシロに命を懸けていた人間がカネに命を懸けるようになる姿は悲しくも滑稽であり、いたたまれずフォローを外すことも少なくなかった。ああにはなりたくない。そのたびに強く心に誓ったものである。

そんな誓いも虚しく、私も宣伝botに成り果ててしまった。ミイラ取りがミイラとはこのことである。まったくお恥ずかしい次第である。

しかし、自分自身が本を出すことになって、私は大きな勘違いをしていたのかもしれないと気付いた。私は宣伝botと化した彼らを「カネの亡者に成り下がった」と解釈していたのだが、それは少し違うのではないかということである。

今回、本を出すにあたって、私はいろいろな人たちと関わってきた。電子書籍部門の編集者さん、紙部門の編集者さん、デザイナーさん、そして、帯に推薦コメントを書いてくださったGLAYのHISASHIさん、HISASHIさんのマネージャーさん。私の原稿を商品にしてくださった方々である。

もちろん、たくさん本が売れて印税でウハウハしたいという気持ちはあるが、それよりも、私の文章に目を留めてくれた編集さんや推薦してくださったHISASHIさんの期待を裏切りたくないという気持ちが遥かに大きいのである。彼らをガッカリさせたくないのだ。

だから私は、血眼になってエゴサをして、自著に対する絶賛ツイートを探し出してはリツイートをし、ことあるごとにAmazonのリンクを貼るのである。自身の美学には反するが、それもこれも私の本を作ってくださった方々の期待に応えたいがゆえのことなのである。

宣伝botと化したアカウントも少なからずこういう理由があったのではないかと今では思える。

新作のキャンペーンで来日したハリウッドスターがZIPポーズをするのも、佐藤浩市がプロモーションの一環で道端で映画のビラ配りをするのも、すべて自身の作品に関わってきた人たちに報いるための行動なのだと思う。たくさんの人の生活がかかっているのだから、なりふりなぞ構ってられないのだ。

長々と言い訳をしましたが、初の紙書籍「深爪式 声に出して読めない53の話」(11/2発売)は、「深爪な愛とセックスのはなし」「深爪な家族と人生のはなし」の2冊をまとめ、電子書籍約1冊分の書下ろしを加えた自信作にもほどがある作品なので、是非、お手に取っていただければ嬉しく思います。

何卒よろしくお願い申し上げます!

深爪

PS ここ数か月、書籍向けの執筆作業が忙しく、全くnoteの更新ができず本当に申し訳ない限りです。今後は時間を見つけてドラマのコラムやシモの話など、随時更新していきたいと思っておりますので、今後とも生温かい目で見守っていただければ嬉しいです!





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