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ゼア・イズ・ナッシング・ニュー・アンダー・ザ・サン

 ダイダロスはまず、脳内記憶領域に格納していた暗証番号を取り出し、事前に教えられていた口座の預金額を確認した。それが現金にして持ち歩くには現実的ではない額だと判断すると、速やかにその全額をクレジット素子へ変換するための手続きを行った。
 続いて、使い慣れた遠隔操作用少年型オイランドロイドを起動し、幾らかの現金と護身用ドス・ダガー、そして一枚の封筒を持たせた。準備を整え、素子の引き渡し場所へと向かわせる。
 ドロイドボディを遠隔操作する傍ら、ソウカイネットへのアクセスを試みる不用心な民間ハッカーをIRC上に発見したため、すぐさまIPを抜き取り、ニューロンを焼いた。

***

「あんたに、個人的に頼みたいことがある」
「個人的に? 面倒くさい話はお断りです。私、とても忙しいですから」
「……じゃあ、依頼だ」
 男は懐から万札の束を取り出すと、ダイダロスのハッキングの邪魔にならないよう、UNIXデスクの上に置いた。
 物理タイピングの手を止めぬまま、ダイダロスは360度円環型サイバーサングラスの視界を男にフォーカスさせる。
「とりあえず手付金だ。あんたの言い値で依頼する」
「ふむ」
 コンマ数秒の逡巡を経て、ダイダロスは頷いた。
「良いでしょう、お話を伺います。私もプロですから」

***

 クレジット素子を受け取ったドロイドは、誰もいない路地裏に身を潜ませると、持っていた封筒にそれを入れ、上着の裏地に取り付けられた隠しポケットへと厳重に仕舞い込んだ。
 路地裏から表通りに向かう傍ら、網膜ディスプレイにマップを表示し、目的地までのルート確認を行う。次にバスの時刻表を。タクシーを呼んでも良いのだが、これはソウカイヤのセキュリティ担当としての仕事ではない。出来るだけ民間人に紛れて行動したかった。
 バス停を目指す途中、明らかに違法薬物をキメた変質者に襲われかけたため、護身用のドス・ダガーで速やかに殺した。時を同じくして、トコロザワ・ピラーにいるダイダロスの本体は、IRC-SNS上の書き込みからニンジャのディセンションに関係するものと思われる情報を拾い、スカウト部門へ送信していた。

***

「契約成立だな」
 男は頷き、預金口座の暗証番号と、ある住所を口頭で告げた。ダイダロスはその音声情報を脳内記憶領域に保存する。
「しかし、なぜ私に?他にもっと、こういうことを任せるのに適した相手がいそうなものですが」
「そうか?こういうことを頼むなら、あんたが一番信用できると思った。他の奴らは……まあ、こんなことを話すような間柄でもないしな」
「私が金を盗むとは思わないのですか?」
「思わないな。あんた、金に興味ないだろ」
「無いですけど」
 あまりにも明け透けなダイダロスの返答に、男は気の抜けた苦笑を漏らした。

***

 合成マイコ音声の車内アナウンスが、降りるべき停留所の名を読み上げる。ダイダロスはニンジャスレイヤーに関する情報収集作業を僅かの間中断し、座席に座るドロイドの簡易スリープ状態を解除した。もう車内には片手で足りる程度の人間しか残っていない。
 バスを降りると、其処には呆れるほどの田舎町があった。周囲をまばらな林に囲まれたその集落にはネオサイタマのビル群めいた背の高い建築物は存在せず、空の広さを思い出させる。
 通りを行き交う町民の何人かが物珍しげにドロイドへ視線を向けているが、気にするようなことでもない。
 再度網膜ディスプレイに周囲のマップを表示し、マーキングした目的地へと歩き出す。トコロザワ・ピラーからの物理的な距離の隔たりによってドロイドの動作にごく僅かな遅延が発生しており、ダイダロスはやや苛立った。
 ソウカイネット内のIRCチャットログをチェックしながら暫くドロイドを歩かせていると、やがて目的の場所が見えてくる。
 牧場めいて開けた土地と、それに隣接する民家。柵で囲まれた敷地の中を何頭かのアルパカが闊歩している。畜舎の中にも数頭、寝そべっているのが見える。ドロイドのカメラアイ越しとはいえ、実物を目にするのは初めてかもしれない。思い思いに過ごすアルパカ達へ興味深く視線を送りながらも、ダイダロスは家屋の入り口へ立つ。
 再度表札を確認した。「スズガケ」。確かにそうあった。ダイダロスは呼び鈴を鳴らした。一呼吸を置いて、掠れた女性の声がそれに答えた。
「どちら様?」
「ロク=サンからの依頼で参りました」
 ダイダロスは合成音声で告げた。

***

「生きてたらどうするんですか?」
「何?」
「明日のザイバツの襲撃でバンディット=サンが死ななかったら、この依頼って無かったことになるんですか?」
 電算機室から出て行こうと扉に手を伸ばしかけていたバンディットは、ダイダロスを振り返り、微かに苦笑した。
「いや、いつか俺が死んだらその時に実行してくれよ。俺があんたより後に死ぬことはあり得ないだろうから」
「その時には私も忘れているかもしれませんが」
「あんたは忘れないだろ」
 まるで心配していないようなバンディットの口振りに、ダイダロスは首を傾げた。
「会って間もない私のことを随分と信用なさる」
 対ザイバツの隠し玉として存在を秘されているダイダロスだったが、実戦でソウカイニンジャと連携を取るための訓練として、バンディットとは既に何度かミッションを共にしていた。
 しかしダイダロスのしたことといえば、安全な電算機室から偽装アカウントを使い、目標へのナビゲートやルート確保のサポートを行った程度である。別に身体を張って彼の信頼を得たわけでもない。そんな自分が何故、彼ほどの古参ソウカイニンジャからこのようなことを頼まれるのか。
「仕事ぶりでわかるよ。俺はハッキングは素人だが、あんたは紛れもなくプロで、1つのワザに熟練したタツジンだ」
「だから信用できると?」
 ダイダロスにとっては理解に程遠い理屈だ。しかしバンディットの方はこれ以上説明するつもりも無いようで、話は終わりとばかりに再度ダイダロスに背を向ける。
「私がすっぽかしたら?」
「その時はまあ、俺の見る目がなかったってことだな」

***

 差し出した封筒を震える手で受け取った老婦人は、中に入っていた手紙を読むと、手で顔を覆って嗚咽した。其処に何が書かれていたかをダイダロスは知らない。知るつもりもなければその権利もない。
 バンディットに依頼された仕事は彼のごく個人的な貯金と、預かった手紙入りの封筒をスズガケ家の者へ渡すところまでだ。もう何も、することはない。
 言葉を紡ぐことも出来ずにいる老婦人に一礼し、ドロイドは来た道を振り返る。
「ロク……」
 くぐもった声が背後で呼ぶその名が彼の物であると、未だに実感が湧かない。ゲイトキーパーに提出する日報を作成しながら、ダイダロスはドロイドを歩かせる。
 ふと、ドロイドのカメラアイが前方の柵の傍に何かを見つける。数歩寄ると、それがドロイドの股下あたりの高さに咲いた、やけに鮮やかなオレンジ色の花であることがわかった。形はユリに似ている。なんとはなしに特徴から検索を掛ける。ニッコウキスゲというらしい。
 持ち帰って彼に供えてやろうか。
 一瞬頭に過ぎったあまりにもらしくない思い付きに、物理肉体が溜息を零す。バンディットを始めとして、近頃は知った顔が死に過ぎている。自分も疲れているのかもしれない。
 日報を仕上げると同時に、ダイダロスは同時進行していたタスクを全て終了し、高椅子に深く凭れた。充分にリラックスしてからドロイドへ意識を戻す。ニッコウキスゲに手を伸ばす。
 だがドロイドの指が茎に触れるよりも先に、横から首を伸ばした1匹の子アルパカが、花を口に入れてしまった。
 子アルパカは唖然とするダイダロスの目の前で数度それを咀嚼した後、口に合わなかったのか、唾と共に吐き捨てた。
 気の抜けた苦笑めいた合成音声が、ドロイドの口内スピーカーから漏れ出した。


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