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麻雀プロ史観は正しいか?

プロ麻雀界って何?

黒木さんのこの記事↓が評判いい。

同感なところもあるし、異論あるところもあるんだけど、たとえば同感なのはこれ↓

「麻雀の世界を将棋の世界みたいにしたい」と言っているプロ雀士のほとんどが「麻雀で勝ったら賞金はもらえるが安いから高くして欲しいし、対局料も払って欲しい」と思っているだけだからである。
 しかも厳密に言うと「将棋の世界みたいにしたい」のではなく「将棋の世界みたいにしてくれ」なのである。

これはほんとそうだわ。黒木さんの立場からすると、お前ら甘えるのもいいかげんにせーってことも多いんだろう。

異論があるのはたとえばここ↓

 「麻雀を人様に見せる競技にしよう」ということをやり出したのは「近代麻雀」で、その創刊は48年前である。つまり、プロ麻雀界の歴史はだいたい50年弱だということになる。

これは事実としては間違ってない。間違ってはないんだけど、プロ麻雀界の歴史という枠組みがじつは恣意的なものだと俺は思ってるのね。

同じようなことはよく思う。

この動画↓で、Mリーガーの近藤誠一さんが、麻雀プロ団体の歴史を説明している。

ゴタゴタしたもんを、きれいにうまく説明するなーって感心した。さすがは塾講師だ。何も見ないでこんなに正確に説明するって俺にはできねーぞ。

コバゴーが、同じく麻雀遊戯王の動画で、近藤さんの説明はけっこういいかげんだって言ってて、みんなすげー詳しいなーとますます感心した。

ただね、1個だけ不満がある。それは麻雀プロの発祥を1976年の最高位戦創設にしてて、その中身をまったく問題にしてないことだ。

基本的に、麻雀プロの枠組みの中にいる人は、その枠組みを無意識的にも肯定的に見るものだし、俺みたいに枠組みの外にいる人は疑いの目で見るもんだ。そういう立場の違いもある。

今あるのは馬場史観だけ

もうひとつ大きな理由があって、それはそうじゃない歴史がなかなか見当たらないこと。ないんだよね。ほんとにない。

そもそも麻雀の歴史について書かれてるものってすげー少なくて、そのどれを見ても最高位戦の創設によって麻雀プロが誕生したと書かれている。書籍の『バカヅキハリケーン』とかね。

その前史はどうなの?ってことはどこにも載ってない。知る方法がないんだわ。

だけどさ、世の中どの業界だって、何もないところからいきなり誕生することってある? たとえばサッカーのJリーグが誕生する前に、その前身があったからJリーグを作れたんじゃないの? こういう他業界の具体例を考えてみると、ある年にいきなり誕生したって説明は歴史観として薄っぺらいんじゃねーの?って思われてこないだろうか。

ここでいきなり断定になるんだけど、1976年に最高位戦が創設され、それが麻雀プロの誕生だったと広めたのはバビィなんだよね。馬場裕一という人で、つまりこれは馬場史観だ。

バビィは高校生のときに阿佐田さんや小島さんと出会って人生が変わった人で、彼らをむちゃくちゃ尊敬してる。

阿佐田さんによって日本の麻雀界にルネッサンスが起きた。麻雀プロを作り出したのもそのムーブメントだ。バビィはそう思ってて、そんな主旨の漫画原作とか文章をいっぱい書いている。

今残ってるのは馬場史観のものだけ。他に面白い文章を書く人とか、あえて本を書いて残そうという人がいなかったため、馬場史観しか残ってないんだよね。

なので、黒木さん、近藤さん、コバゴーなどはみな馬場史観に立っている。

で俺は、それって特定の世代の若いときの感動に立脚した思い込みじゃねーの?と思ってるわけ。

若いときに矢沢永吉のロックンロールに感動して、何十年も経ってからもコンサートに行く。音楽はそれでいいよ。でも歴史を語るときはもっと多角的に見ようぜって思うわけだ。

麻雀の流れ論を作り出し広めたのは阿佐田さんと古川凱章さんだ。それ以前はなかったし、今となってはもはや古い世界観だ。登場したときは絶大な説得力があって一世を風靡し、何十年かすげー影響力を持った。しかし21世紀になってデータの時代が到来し、今は説得力を失った。バビイはいまだ流れ論の枠の中にいて、それで生涯を終えるんだろうけど、麻雀プロ史観もそれと同じじゃねーの?と思ってしまう。

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