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2024年新春阪堺電車「堺トラム(1001形)」の3編成と「1101形」の1編成が運行

阪堺電車「1001形」は2013年8月25日から営業運転を開始した超低床式の路面電車でアルナ車両で製造され3編成導入された。愛称は「堺トラム」。その後、超低床型車両の増発に対応する為「1001形」に準拠した「1101形」がアルナ車輌で製造された1編成が2020年3月28日から営業運転開始した。低床車式4編成体制で、天王寺駅前⇔浜寺駅前の低床式車両は概ね毎時1本の運行となり車椅子やベビーカーの利用者の利便性が向上した。運行区間は天王寺駅前↔︎浜寺駅前間。

「1001形「堺トラム」の導入は、堺市及び国からの支援によるものです。堺市内を走る阪堺線は100年以上の歴史を有し、長年市民に親しまれてきた公共交通機関であり重要な市民の足になっている。一方で、阪堺線の活性化・再生を目指して堺市は10年間の支援を実施した経緯がある。


堺トラム 1001形編成 ・1001号車  ・1002号車  ・1003号車 の3編成

◉第1編成(1001号車) の色は緑。呼称は「茶ちゃ(ちゃちゃ)
緑は世界文化遺産・百舌鳥古墳群や長年にわたって阪堺電車の車体に使われている緑色をイメージしている。千利休が追求した「わび」をイメージとしていることから「茶」にちなんだ呼称にしている。

第2編成(1002号車)の色は紫。呼称は「紫おん(しおん)」
紫は堺市出身の歌人である与謝野晶子が好んだ色で、かつ堺市の市花として制定したいるハナショウブを表現している。また「しおん」というか言葉の響きに温かみがあり、誰にでも優しい低床式車両にふさわしいことから命名された。

第3編成(1003号車)の色は青。呼称は「青らん(せいらん)」
青は浜寺の海や堺市の市旗の色であり、」日本の伝統である「青藍(せいん)」が堺市の市旗の色に近く、「らん」という言葉が「走る」「藍」といった様々な意味を持っていて堺トラムのイメージに合致することから命名された。


1101形電車  

2020年3月28日から営業運転開始された。超低床型車両の増発に対応する為導入された路面電車である。低床車は1時間1本体制となった。
1101形の車体構造は基本的には1001形と共通のものとしている。製造はアルナ車両。
列車の編成表示は、前面の窓の左下にあり、天王寺側は「1101A」浜寺側は「1101B」と表示される。
車体塗装は、「転生したら阪堺電車やった件」(ライトノベル「転生したらスライムだった件」とのコラボ(2022年2月〜)


阪堺電車電車の歴史

設立経過

これまで、路面電車はモータリゼーションの著しい進展による乗客減少や、道路交通の増加などによる経営難から、各地で廃止があいついだ中にあって、南海電気鉄道軌道線は懸命な企業努力により、立派に輸送の使命を果たしてまいりました。

そして、昨今は省エネルギー時代に適した低公害で便利な交通機関として、むしろ社会の期待は高まりつつあります。このような要請に応えるためには、路面電車の実態に即応した、より、きめの細かい経営・管理体制の確立が強く望まれるところでありましたが、南海電気鉄道では平野線の廃止を機会に、軌道部門を別会社として分離・独立させることとし、昭和55年12月1日、阪堺線・上町線が「阪堺電気軌道株式会社」として新発足いたしました。

沿革

上町線、阪堺線の主な歩みは、次のとおりです。

当線の前身は、明治30年5月に設立された大阪馬車鉄道株式会社です。馬車鉄道とは、今日からすれば風変わりな乗り物といった印象を与えますが、その名が示すとおり軌道に乗った客車を馬が引っ張るというもので、当時としてはモダンな交通機関として脚光を浴び、全国各地でその姿を見ることが出来ました。

ところで、同社は設立から3年後の明治33年9月に天王寺西門前から東天下茶屋間を開通させたのを皮切りに、同年11月には上住吉、同35年12月には下住吉までと順次路線を延長していきました。やがて同社は沿線一帯の開発が進み乗客数が増えたことなどもあって、馬車鉄道を廃止し電化工事に着手しましたが、工事なかばの明治42年12月南海鉄道に合併、上町線とよばれるようになりました。電化工事は南海鉄道が引き継ぎ、翌43年10月1日に完成、同日から天王寺西門前~住吉神社前間の営業運転をはじめました。さらに大正2年7月、住吉神社前~住吉公園間の延長工事が完成、南海本線との連絡が可能になりました。その後同10年12月、天王寺西門前~天王寺駅前間を大阪市に譲渡、これによって同線の起点が現在の天王寺駅前となり、ほぼ今日の姿に近い状態になりました。

明治43年3月に設立された旧阪堺電気軌道株式会社が阪堺線のおこりです。同社は片岡直輝氏らが発起人となって、大阪市~浜寺村間および堺市宿院~大浜間の2路線に電気鉄道を建設する目的で設立されました。 明治44年12月に恵美須町~大小路間、同45年3月に大小路~少林寺橋(現・御陵前)間、そして同年4月に少林寺橋~浜寺駅前間が開通、阪堺線の路線が完成しました。

こうして路線の完成をみた旧阪堺電気軌道は、競合する南海鉄道とはげしい旅客誘致競争をおこないましたが、やがて大正4年6月、両社は合併、南海鉄道の阪堺線となりました。

時代が進み、昭和19年6月1日、南海鉄道は戦時中の企業統合政策により、関西急行鉄道と合併、社名を近畿日本鉄道と改称、上町線・阪堺線は同社の天王寺営業局の所属になりました。

戦後、上町線・阪堺線は同様に旧南海鉄道に属した鉄道線と一緒に、昭和22年6月に新発足した南海電気鉄道に引き継がれ、さらに昭和55年12月1日、阪堺電気軌道として再スタートを切ることになりました。


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