咲良

垂直に伸びた茎の端

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最近の記事

亡くなった人について語る時、私の語ること。

幸福について言えるのは失って初めて幸福だったと気づくことだ。言い換えれば自分たちが幸福だと思うことはあるかもしれない。だけど本気で信じていないんだ。 些細な戯言、次の仕事、なんでもいいから集中するんだ。 幸福がどんな感じか本当に理解するのは、振り返ってみて、そのあとに待ち受けているものと比較する時だけだ。 高架下。痛んだしおり。折れた傘。ぬるくなった缶ビール。クラゲ。水溜り。寂れたビル。リストカットされた手。鶯谷。フィッツジェラルド。 もしすべては存在しないのだとしたら、

    • 考えることについて考えるということ。

      日々を過ごしていると、ふと立ち止まることがある。つい昨日まで溢れそうだった活力が、気づいた時には失われている。あらゆるものが進むことを否定してくるような、生きることから目をそらしたくなるような、そんな瞬間が時折訪れる。人は人生の岐路において、あるいはなんでもない日常において、ふと立ち止まる。 私たちは悩む。しかしそれは何によってなのだろうか。 実際、私たちは何に対しても悩む。人との距離感を考えることに息苦しさを感じたり、やりたいことがわからず虚しく思ったりする。 人生は選

      • 就活で心が壊れた22歳がいま思っていること

        この記事の1つの目的は読み手を啓蒙することです。啓蒙とは一般的には「正しい方向へ導く」という意味で使われていますが、ここでは「より豊かでいられるための考え方を提示する」というような意味で使おうと思います。つまり安易に、こうしたほうが正しいんだ!とするものではなく、ただ僕の哲学を語るものです。 この記事の重要なことは、僕がなにかにおいて成功したものでもなんでもなく、あなたと同じようにこの社会で生きることに苦しんでいるひとりの人間であるということです。さらにいえば僕は就活で最

      亡くなった人について語る時、私の語ること。