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就活で心が壊れた22歳がいま思っていること


この記事の1つの目的は読み手を啓蒙することです。啓蒙とは一般的には「正しい方向へ導く」という意味で使われていますが、ここでは「より豊かでいられるための考え方を提示する」というような意味で使おうと思います。つまり安易に、こうしたほうが正しいんだ!とするものではなく、ただ僕の哲学を語るものです。

この記事の重要なことは、僕がなにかにおいて成功したものでもなんでもなく、あなたと同じようにこの社会で生きることに苦しんでいるひとりの人間であるということです。さらにいえば僕は就活で最終面接にいくことすら一回もなく、家に引きこもって、ドロップアウトした落ちこぼれの負け組であることです。

とはいえ、タイトルの”心が壊れた”は正直少しオーバーな表現になってしまったかな、と思っています。たしかに、僕は就職活動の中で何度も
「もう消えてなくなりたい」
「全てを投げ出して、遊びたい」
と思ったり、ネガティブな気持ちを「死にたい」と表現してしまうことはあります。けれど、本気で自殺を検討したり重度のうつ病状態になったことは一度もないです。警察庁の出している2018年の自殺者数の統計を見ると今年の1月に1612人、2月に1565人、日本で自殺者が出ています。もちろんここには就活生も一定数存在するわけで、そういった方々が背負っていた業に比べれば僕はまだ自分自身に前向きでいられていると思います。


我々は前提から間違っている

僕たちが何か行動を取る時、そもそも前提が考えられていなかったり、間違っていることが多いです。

例えば私たちは就職活動をして「どの会社を受ければいいのか」と考えます。僕たちは給料や、待遇、規模、事業内容、あるいは口コミなどを見ながら判断して会社を選んで、選考にのぞむわけじゃないですか。それは良いんですよ。

でもそんなことよりも先に「そもそも自分にとって幸せであるとはどういうことなのか」という問いや、「自分にとって本当に価値があることはなんなのか」という問いに対して真剣にかつ、純粋に淀みなく向き合わなければならないとは思いませんか。

先日、「解を求めることよりも、問いを立てる方が重要性が高い」という言葉を見て共感したのですが、まさにそういうことですよね。

純粋に淀みなく問え、と僕が言うのは、新卒一括採用を目の前にした僕たちはこの問いを「どの会社に入れば幸せになれるのか」と置き換えて考えてしまうからです。

そもそも僕たちは仕組みや価値観に対して宗教的なんですよ。例えば、「小学校中学校大学に通ってその後就職」という仕組みや、「一途な恋愛をすべき」という恋愛観に僕たちは疑問を持たないじゃないですか。さらにいえば法律、資本主義、国家、貨幣経済、会社制度、あげればキリがないです。

僕たちはこれだけいろんなものを”考えずに”信じてるわけです。でもこれって全部人間がつくったものじゃないですか。僕たちが無意識に信じてしまっているものは、当たり前ですけど世界の真理(前提)ではないんです。人間がつくったってことは、大なり小なりの利益の奪い合いが背景にあり、欠陥も当然存在するにも関わらずです。


何かを根源的に考えるということ

僕はよく「〜とは何か。」という問いを自分自身に投げかけます。これは別に「哲学的な俺カッコイイ」と思っているからでも、なんとなくやっているわけでもなく、必要性によってやるようになりました。というのも、考えるために、あるいは考え尽くした先には必ず、「〜とはそもそもなんなのか」という問いが待っているからです。


自分で考えることは重要だけれど

僕がここで一貫して強調していたことは、「自分の価値基準を持って考えることが重要だ」ということです。自分で考えるっていうのがどういうことかというと、たとえば肯定的に読んでいたこの記事をあえて否定的に見返してみるということなんですよ。人間は「これは正しそうだ」とか「こいつは絶対間違ってる」とか、イメージで判断しがちですから。僕は最初に「僕の哲学を語る」と言いました。当たり前ですけど、あくまで一意見です。

とはいえ、自分で考えろという主張はあまりに簡単に言い過ぎなんですよ。考えることって苦じゃないですか。だから考えずに仕組み(制度)やあらかじめ存在する価値観を使って生きるほうが楽しいならそれでいいとも思うんです。でも泣きながら就活やって泣きながら仕事するような生き方だったらまず考え直すことも検討すべきだと、僕は強く思います。そうすれば自分にとって本当に価値があるものを少しずつ拾っていけると思うんです。


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