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ミュージカル「ラ・マンチャの男」を観て考えたこと

 先月24日、松本白鸚主演「ラ・マンチャの男」の最終公演が千秋楽を迎えたというニュースを見てしばし感慨に浸りました。1969年の初演時26歳の市川染五郎は、54年間1324回の公演を重ね、80歳の今日に至るまで「見果てぬ夢」を歌い続けてきたことになります。これを偉業と言わずして何と表現したら良いのでしょうか。これだけ続けられたのは白鸚氏のこの芝居に対する思いの強さと役者としての器量そして「ラ・マンチャの男」そのものが持つ芝居としての魅力があったればこそだと思います。
 セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』をもとにしたミュージカルである「ラ・マンチャの男」は1965年にブロードウェイで初演され、1972年にはピーター・オトゥール主演で映画化されました。私が初めて観たのはこのときの映画ですが、その時購入したオリジナル・サウンドトラック盤のレコードは今も私の手元にあります。また当時の市川染五郎の舞台もその後すぐに鑑賞し、10年ほど前には娘の松たか子と共演した松本幸四郎の舞台も観に行きました。大いに心を動かされたこの芝居のテーマ曲であるThe Impossible Dream(見果てぬ夢)を英語の原文と私の拙い訳でまずは紹介したいと思います。
 
To dream the impossible dream 叶わぬ夢を夢に描き
To fight the unbeatable foe 打ち負かすことのできない敵に立ち向かい
To bear with unbearable sorrow 耐えがたい悲しみに耐え
To run where the brave dare not go 勇者でさえたじろぐ所を突き進み
 
To right the unrightable wrong 正しようのない間違いを正し
To love pure and chaste from afar 遠くより人知れず純粋で清らかな愛を捧げ
To try when your arms are too weary 腕が疲れて上がらないときも努力し
To reach the unreachable star 届かぬ星に手を伸ばす
 
This is my quest これこそ我が探求の道
To follow that star あの星を追い求め
No matter how hopeless たとえ一縷の望みさえなくとも
No matter how far 道がどんなに果てしなくとも
 
To fight for the right 正しいことのために戦い
Without question or pause 疑いもためらいもせず
To be willing to march into Hell 喜んで地獄へと進み行く
For a heavenly cause 神聖な理想のために
 
And I know if I'll only be true そして私は知っている ただ忠実でありさえすれば
To this glorious quest この栄誉ある探求の道に
That my heart will lie peaceful and calm 私の心は穏やかで安らかでいられるだろう
When I'm laid to my rest 私が死の床に横たわるとき
 
And the world will be better for this そしてこの世はより良くなるだろう
That one man, scorned and covered with scars 蔑まれ傷だらけの一人の男が
Still strove with his last ounce of courage それでも最後の勇気を振り絞って懸命に努力したのだから
To reach the unreachable star 届かぬ星に手を伸ばそうと
 
 騎士道物語を読み過ぎて現実と物語の世界の区別がつかなくなり、自らを伝説の騎士と思い込んだ主人公の世の不正を正す遍歴の旅がドン・キホーテの物語なのですが、人から馬鹿にされ傷つきながらも、叶わぬ夢を夢見て懸命に努力した男がいたからこそ世界はより良くなり、その男も心安らかに一生を終えるだろう、と歌うラ・マンチャの男に、私は深く心を動かされました。大きな夢を持ち、それを叶えるため、愚直なまでに一所懸命努力する姿は美しく感動的で私たちに勇気と希望を与えてくれるものです。
 劇中セルバンテスが独り言を言う場面があります。
 40年以上生きてきてあるがままの人生を見てきたセルバンテスは、この世の信じられないほどの苦痛や悲惨さや残酷さを目にしてきたと言います。彼自身は史上名高い「レパントの海戦」(1571年)に従軍して英雄的な活躍をしたものの、そのときの負傷がもとで左腕を失うという憂き目に遭っています。更に1575年には帰国途中にイスラム教徒の海賊に襲われ、北アフリカのアルジェで5年間奴隷として過ごす羽目にも陥りました。
そして台詞です。
 
 Perhaps to be too practical is madness. To surrender dreams, this may be madness. To seek treasure where there is only trash! Too much sanity may be madness!
 And maddest of all, to see life as it is and not to see as it should be!
 ひょっとするとあまりにも現実的過ぎるのは愚かなことかもしれない。夢を捨てるのも愚かなことかもしれない。ゴミしかないところで宝物を見つけ出そうとすること、あまりにも正気であり過ぎるのは狂気かもしれない。
 そしてあらゆるもののうちで一番愚かなことは、人生をありのままに見ることであるべき姿で見ないことだ。
 
 この最後の言葉が私には特に印象的でした。「あるべき人生の姿」を求めていくところに成長と喜びがあると確信したのです。
 ただし、ここで忘れてならないのは、その目指すところが正しいのかどうかということです。また、正しいこととは思えても、その手段は是か非かという問題もあります。
 この難しい問題については今後のブログで書いていきたいと思っています。

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