みんながTwitterをダラダラ見続けてしまう理由を考察した

Twitterを見続けていたら一日が終わっていた。

そんな経験はないだろうか。自分はある。心当たりしかない。心当たり100%。

何故、人間という高等生物(自分で言うのもなんだが)は、Twitterを見続けてしまうのだろうか。高等生物なりに考察してみた。

これを読んでいる人は、おそらく人間だと思う(ちがっていたらごめんなさい)。だから人間がTwitterをダラダラ見続けてしまう理由の考察を紹介していきたい。

まず。まず前提から入るが、前提として、人間は生きる上で明確な目的をもっていない。

「持っている」という人は「すごいね」という他ないが、あったとしても、それはおそらく永続的なものではない。変化する。

「いや、変化しない!」という奴にはもう、「ハイハイ、すごいね」という他ない。「変化しない」なんていう荒業、身の回りで成功させた試しを自分はみたことがない。

人間の中で、変化せず、変化しない目的に対して時間を割いている人は、この記事をそもそも見ないだろう。まず、Twitterも見ないだろう。

Twitterとか、こういうnoteみたいな、SNSあるいはネット記事を読んでいる人間の大半は「新しい情報(自分が知らない情報)を探している」。そして、それは何故かといえば「変化をするため」だ。

話は少し変わるが、「何故か」という問いに対して考察を進めるには「そもそも」を考えることが処方箋として非常に有効だ。

そもそも、Twitterというのは短文投稿SNSサイトで、世界中の情報をキャッチし、世界中の人々とつながる機能をもつコンテンツだ。

友人の情報をキャッチし、好きなアーティストの情報をキャッチし、たまに呟いて反応をもらって楽しむ。そういうコンテンツだ(たまに違う使い方をしているヘンテコユーザーもいるが)。

こういうコンテンツに手を伸ばす、一番根本にある欲求が「変化したい」という欲求なのだと思う。みんな、自分に何か変化をもたらすような情報がないか、その正体はわからないが、その「新しい何か」の情報を求めてTwitterを徘徊する。

「新しい情報を求める」という行動の背中に、必ず「変化したい」という欲求はへばりついている。自分の中で言語化されないだけで、鉛のように重く密かに、その欲求は影響力を放っている。

つまり、「Twitterをダラダラ見続けている時間」(あるいは、Twitterに対する依存度・欲求)は「自分自身の変化したい欲求」と比例する。ただし比例定数は人により異なる(一次関数かもしれないし、指数関数かもしれない。自身の本心に反抗したがる天邪鬼は反比例かもしれない)。

Twitterは、そうした欲求に非常~に従順にデザインされている。1分間に100以上のユーザーのツイートについて目視(インプレッション)・認識(エンゲージメント)・反応(いいね・RT)することができる(福人ずけ調べ)。

興味ないようならば読み飛ばし、興味があれば、ユーザープロフィールに飛び、ひっかかった一次情報を元手に芋づる式に情報を掘っていくことができる。

「興味がある」という引っ掛かりから、興味があるシマを探索できるTwitterのデザイン(UX)が、本当にいけない。マジでヤバイ。時間を無限に搾取する諸悪の根源だ。

Twitterのユーザーをフォローすると、関連度が高いユーザーが「おすすめユーザー」してフォローされるようになる。類は友を呼ぶ。好きなユーザーの「いいね」欄は好きなツイートばかりだし、好きなユーザーのフォロー欄にも、大概好きな感じのユーザーが多い。

好きなアニメ、同じ大学、言葉使いのセンス、そうした「共通項」によってくくられたユーザーのシマが、Twitterには点々と遍在している(いろんなSNSにもいえることだが)。

同じ趣味をもつユーザーをみつけて「憎しみ」や「悲しみ」を覚える人間はあまりいないだろう。たいてい、「嬉しい」や「仲良くなりたい」という気持ちを抱くと思うのだが、みなさんはどうだろうか?

もし後者であるなら、Twitterにハマる素質は十二分にもっていることになる。「新しい情報がほしい(変化したい)」という欲求に加え、「共通項をもつユーザーとつながりたい」という欲求が加われば、もうお手上げだ。Twitterにハマるしかない。

ちなみにこの「共通項をもつユーザーとつながりたい」という欲求の裏にへばりついているのは、小恥ずかしくて脳内で言語化されないだけの「所属したい」というもので、マズローの欲求五段階説で言えば、三段目の社会的欲求の所属欲求に分類される。

あとあと、創作などを投稿して、「承認されたい」という欲求があったとしたら、もうこれはTwitterこそ欲求のサンクチュアリだ。これは段階欲求説の上から二段目で、Twitterにクリエイターが多く、精力的にツイッタラーをしている現象は、この欲求から心理学的に説明することができる。

そもそもからはじまり、心理学的に分析すると、「みんながTwitterをダラダラ見続けてしまう理由」の裏には「変化したい」やら「所属したい」やら「承認されたい」という欲求があることが考察できる。

なんだか恥ずかしくて、「変化したい!」「所属したい!」「承認されたい!」と、みんな口では言わないけど、Twitterをダラダラ見ているということは、そういう欲求を満たしている、ただそれだけのことなんだと思う。

まぁ、ここまでTwitterが浸透した今、そんなに特別恥ずかしいことではない気はするけれど。そういえば、Twitterが始まる前はどうやって欲求が満たされていたんだろう。Twitterで調べてみようかな。



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ありがとうございます…!
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#山吹誘地

【コラム】#春夏秋冬論

感じたこと思ったことを平成生まれの視点で徒然と書き綴る創見の文集。その時々にしか感じ得ない思索の提示。振り返った時に色鮮やかな正弦波が描かれていますように。四季のように考えは移ろいます。
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