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ソーシャル・オーガニズム─『謎床』『ソーシャルメディアの生態系』

情報はどう育まれ、多様な変化をおこしていけるのか?ITと編集力が融合すると何が生まれるか?日本文化にはどのような「謎を生み育てる床」があったのか?連想と発想の応酬から切り開かれる、「ジャパン・プロセス」をめぐる極究のヒント集。
デジタルアーキテクチャの未来。誰も描けなかったGAFA後のビッグピクチャー。人類の生存戦略はすべて書き換えられる。SNS“遺伝子”による衝撃の「新・進化論」

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ソーシャルメディアの憂鬱/いつから、こんなに、狭くなったか

令和に入ってからというものの吉本興行の闇営業絡みの一連の騒動にジャニー喜多川氏逝去による公正取引委員会の介入、7payにNHKから国民を守る党など話題に事欠かない世の中になってきましたね。
Twitterをのぞいてみれば、それ関連のつぶやきがTLを埋め尽くしている。

たとえば、ゆりやんレトリーバー氏や池乃めだか氏が吉本の問題に対してユーモアのあふれた対応をする。そして、それに対するみんなの「さすが芸人だ!芸人はこうでなくちゃ」的なリアクションでTLが埋め尽くされていて、実際のところ吉本の何が問題で、これから何をなせねばならぬを突き詰めなきゃいけないのに、そこはふわっとしはじめている。はたまた、松本人志氏が

というツイートをする。
そして、これをパロディするツイートが無数に出てきて、僕たちはそれがTLに流れていくのを見続ける。結果として、僕たちからは吉本の問題に割く脳の容量が削られていっているのではないだろうか、と思ってしまう。
そんなツイートがTL中を埋め尽くしている日が連日続いていた。

あれ?Twitterっていつからこんな狭い世界だったっけ?
もしかしたら昔からこうだったかもしれない。それにしたって、なぜだか令和に入ってからというものの同じような情報(とさらにはそれに付随したフェイクニュース)が洪水のようになだれ込んできていて、少なくとも僕はそれにうんざりすることが多くなってきている。既知の情報ばかりが目につく。

とは言っても、まったく未知の情報に出会えないわけではない。最近でいえば、ロイコクロリディウムの生態はほとんど謎めいていて、中の幼虫ではなく袋が動いていると知ったときの衝撃。

このツイートをシェアしたら、同僚から地方病 (日本住血吸虫症)を取り巻く歴史の奥深さを教えてもらった。その日はwikipediaのページにのめりこむことになった。


このようにまだまだ未知の情報に会える可能性は大いにある。
しかし、なぜだか情報の流れが詰まっているようにここ最近は感じる。そんなことをふわふわ考えている。ソーシャルメディアとかインターネットってなんなんだろう。


情報はどう発生し、流れ、どうなっていくべきなのか

そんなときに読んだのが『謎床』という本だ。
情報がどう発生し、流れ、どうなっていくべきなのか、ここでは「インターネット」について語られている。博覧強記たるふたりが語るのだが、それはもう話題過多。全然頭に残らないところ、松岡正剛氏があとがきでしっかりまとめを書いてくれていた。引用してみる。

本書が扱った謎は、わかりやすく大別すると三つある。
①情報はどのように育まれて多様な変化をおこしていけるのかという謎、②コンピュータ・ネットワークで編集力を使えるようにすると、何を創発できるのかという謎、③日本人や日本語や日本文化にはどんな床があったのか、その「日本床」について何を考えればいいのかという謎、この三つだ。

全部触れ始めると莫大な文章量になってしまうので、本記事で触れたい①について掘り下げてみる。さらに引用。

①の謎の起源は生命のしくみにある。生命の本質は情報が高分子化することで発現したのだから、謎床の株をふやしたかったら生命と情報の関係に学ぶべきである。生命は情報複製によって進化してきたが、たんに複製していては多様性は生まれなかった。多様性はコピーミスがつくったものだ。そこに環境との相互作用が生まれて多様性がつくられた。

情報と生命が同じくらい複雑性を持ちうるというのはなんとなくイメージしてわかる。でも一体どういうことだろうか。


ソーシャルメディアは生きている有機体のように機能する

このイメージを明確にしてみるために、さらに『ソーシャルメディアの生態系』という本を引っ張ってきてみる。
この本で、著者は「ソーシャル・オーガニズム」という19世紀の社会学者エミール・デュルケームの造語を用い

ソーシャルメディアはあらゆるレベルにおいて、生きている有機体のように機能しているのだ。

と述べる。
さらに生命の7つの法則がソーシャルメディアにほとんど当てはまることを根拠にし、上記の主張を強化していく。

1.細胞による構造:生物は細胞を中心に組織されている。単細胞生物のアメーバのような単純なものもあれば、人体のように、個々の役目を負った無数の細胞を収容する複雑なものもある。

2.代謝:生物は栄養を必要とする。そして代謝によって化学物質(栄養素)とエネルギーを細胞物質に転換するいっぽう、副産物として分解有機物をつくり出す。簡単に言うと生き物は、栄養を欲するいっぽうで不要物を体から追い出している。

3.成長と複雑性:生物は、分解有機物を上回る細胞物質を生産することによって成長し、より複雑になっていく。

4.ホメオスタシス:生物は、己の内的環境をバランスのとれた安定した状態に保つためにアクションを起こし、内的環境を整える。

5.刺激への反応:生物は外的環境の変化に反応し、己を守るために自身の性質や行動に修正を行う。

6.繁殖:生物は、子孫をつくる。

7.適応/進化:生物は環境の恒久的変化に適応する。そして長期的には、生き残った者の遺伝子を子孫に譲り渡すことで、進化を遂げる。

たとえば「細胞による構造」は、人びとが写真や記事やコメントなどをさまざまなかたちでアップロードし受容するさまを複雑な細胞生物の組織化された構造になぞらえる。
感情によって動く人間が細胞であり、それらは「ホラーキー(全体を司る一部でありながらも独立した一部であるという双方の機能を保持すること)」を形成する。そして、「代謝」「成長と複雑性」という特性を通して、幅広さと複雑さを増していく。それは松岡氏の述べる「①情報はどのように育まれて多様な変化をおこしていけるのかという謎」へのひとつの回答となるのだろう。


「閉じた世界」から水平で分散されたネットワークへ

ソーシャルメディアはコミュニケーション(メッセージ)のあたらしいあり方をもたらした。

かつて印刷技術も読み書きすら浸透していなかった時代には、宗教はメッセージを発信するひとつの大きな媒体だった。彼らは、図像によって物語をつくり、それを「教会」という形に落とし込み、思想を広めていった。
やがてグーテンベルクが活版印刷を発明し、「聖書」を印刷できるようになる。「教会」は場所に縛られる。しかし、印刷されることでその思想はその制約がなくなり、爆発的に思想を広まっていく。そして、同時に識字率が高まることにより、社会のあり方自体がアップデートされる。
次に「マスメディア」が生まれる。それは情報への接触のハードルが下がったことにより、人びとが情報をさらに求めるようになったことから生まれたのだろう。そして、メディアという組織・仕組みは19世紀には現在の広告モデルを生み出す。そのまま20世紀を通してラジオやテレビ、映画などさまざまな形でメッセージを発信する媒体が生まれてきた。
こうして印刷の発明に端を発する「マスメディア」は巨大な影響力を持つ存在として社会に君臨してきた。しかし、それは結局メッセージを一方向に発するものでしかなかった。ある意味では、「閉じた世界」をつくるためのものでしかないのだ。

つまるところ、ソーシャルメディアの新しさとはマスメディアのこのようなあり方とは異なる、水平で分散されたネットワークであることなのだ。
ソーシャルメディアによって私たちはいろんなことを同時に考えることができるし、それを広げることもできる。


ミームは悪い伝染も引き起こす

しかし、著者はソーシャルメディアが必ずしもよい方向に進化するわけではないとも述べる。現に各プラットフォームでは、情報のコントロールや検閲がはじまっている。
記事のはじめに述べたネタツイートの爆発的な広がりのような現象のことを本書では、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』で提示された「ミーム」の概念を引いて説明する。
ミームとは「文化の伝達のための基本単位」であり、模倣を通じて脳から脳へ受け渡されながら広まっていくというものだ。ミームは自己増殖しながら伝染していく。そのありようはまさにバズツイートそのものだ。しかし、ミームのプロセスには目的がなく、そして、進歩に繋がっているわけではない。ミームが文化を牽引していく、とも語られるが、すべてがよいミームであるわけではない。

吉本の問題に対してさまざまなツイートが発される。それはさまざまな個人の立場から発せられているが、いくつかの派閥に自然に変化していく。そして、それらの派閥が対立しあう。
こうした事態も生命の7つの法則のうちのホメオスタシスで説明できる。
すべての生き物は自身のバランスや安定を保つために働きかける。その結果、相いれない複数の個人や派閥はいがみあってしまう。結局、ソーシャルメディア上のあらゆるいがみ合いはそれぞれが安定性を求めるがゆえに発生してしまっているのだろうか。
本書ではいくつかの提案がなされている。そのひとつはなんらかのポジティブなコメントや行動に対して、なんらかのインセンティブを自動的な反応に織り込むシステムを設計することだ。私たちはしばしば「怒り」などで行動してしまうが、ポジティブなことでも行動するモチベーションをシステムによってもたらすのだ。

ソーシャルメディアは「ソーシャル・オーガニズム」たる性質を持つことによって常に流動的で緊張を持っている。そして、それがよくない状況を生み出してしまうこともある。今、それを別のトップダウン的なやり方で、規制なり検閲をすることによってコントロールしようとしている。しかし、そのやり方ではまたダメなことを歴史が証明している。

私たちがしなければならないのは、インターネットやソーシャルメディアのことを正確に理解し、それがよりよい社会をもたらすよう適切な道しるべをつくっていくことなのだ。


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