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「近代」を逸脱する闇─『ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』

政府の監視も、グーグルのアルゴリズムも、企業によるターゲティングも、
さらには法律の手すらも及ばないインターネットの暗部=ダークウェブ。
「ネットの向こう側」の不道徳な領域を描き出す
ポスト・トゥルース時代のノンフィクション!!

知られざるインターネットの暗部――ダークウェブ。
その領域の住人たちは何よりも「自由」を追い求め、
不道徳な文化に耽溺しながら、「もう一つの別の世界」を夢想する。

本書ではアメリカ西海岸文化から生まれたインターネットの思想的背景を振り返りながら、ダークウェブという舞台に現れたサイトや人物、そこで起きたドラマの数々を追う。
「自由」という理念が「オルタナ右翼」を筆頭とした反動的なイデオロギーと結びつき、遂には「近代」という枠組みすら逸脱しようとするさまを描き出す。

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だんだん「狭くなる」インターネット

1990年代にワールド・ワイド・ウェブが登場してから30年近くが経とうとしているが、インターネットをめぐる状況はその進歩と裏腹にどんどん憂鬱をもたらすものになりつつあるように見える。

この文言からはじまる本書はまず現在のインターネットの状況を端的に描いていく。
かつて「世界中の情報を体系化すること」を理念としていたGoogleはこうして分断されてしまったウェブを把握することが難しくなっている。
本書によれば、現在Googleが影響をもたらすことのできる領域はわずか4%あまり。そうした領域は表層ウェブと呼ばれ、残りの96%はディープウェブと呼ばれるらしい。

イーライ・パリサーは「フィルターバブル」という言葉でGoogleの検索システムを批判した。「パーソナライゼーション」によって自分の好きな情報が自動的にフィルタリングされる世界では、結局真の意味での「他者」には出会えず、世界への回路は閉ざされていく。
これはかつてキャス・サンスティーンが「サイバーカスケード」と呼んだ人間の性向と共通する、と著者は指摘する。人は自分と同じ思想を持つ者がいるコミュニティに入りたがる。
それは現在のSNSのほとんどの在り方に近いものであろう。
そして、このSNSの隆盛はインターネットを分断しているものでもある。

つまり、現在のインターネットはより「世界」が狭められ、知らず知らずのうちに行動が規定されている。そこには、もう「自由」がないのではないか?それが現在のインターネットの状況だ。

しかし、実はGoogleが関与できない96%のうちに「自由」を指向する空間が存在していた。それが本書で紹介される「ダークウェブ」だ。


「ダークウェブ」とは何か?

「ダークウェブ」はアクセスに専用のソフトウェアを要する。表層ウェブ、ディープウェブとダークウェブとの大きな違いは、アクセスした人間の身元、そこに存在するサーバーの身元を秘匿してくれる点にある、という。
では、そこにはなにが存在するのか、目次を見てみると、それが分かる。

「闇のAmazon」
「殺人請負サイトQ&A」
「人身売買オークション」
「スナッフ・ライブストリーミング」
...etc

これらについてノンフィクションで詳細を追い、ひいてはウェブのはじまりから思考を進めていくのが本書のスタイルだ。
表層ウェブでは「規制」されてしまうであろうこれらの要素が存在しているその場所は、真の意味で「自由」と言えるのだろう。

しかし自由とは本来的には美しいものではない。だれもがacceptableな自由(への欲求)を持っているとはかぎらない。むしろ自由とは往々にして、社会の秩序を乱し、公益を損ない、倫理を攪乱する、常人がみれば反吐が出るようなものも多分に含まれている。人間が自由にふるまうことを擁護するのだから当然である。そんなヘドロのような情念を肯定することが、われわれが長い営為のなかで勝ち得てきた「自由」なのである。

そして、この場所では「自由」を獲得するための方法が生み出される。その大きな要素のひとつが「暗号化」だ。
ダークウェブの大きな特徴は「匿名性」である。ここでは、「匿名性」を担保するためにビットコインに代表される暗号通貨が使用され、独自の経済圏を生み出している。

言い換えれば、「信用」も「承認」も「合意形成」も必要としない、人間的なあたたかみを欠いた冷たくて無味乾燥な「証明」のシステムがここにはある。理性を伴った主体同士による合意形成といった近代的な人間観が完全に否定された、匿名的なアドレス同士が数学的な証明によって繋がり合う、「信頼なき信頼」によって成り立つ空間。この匿名的な主体から構成された閉じた経済圏は、現実世界から独立した「暗号空間」を創出する。
『ダークウェブアンダーグラウンド』54頁

ここではオルタナティブな「統治」の在り方が現出しており、そこには「自由」が存在している。そして、現在、ダークウェブで醸成されたものたちが表へ飛び出そうとしてきている。
まるでSF小説の中に描かれた世界のような場所に生きる彼らの姿を覗き見る、本書はそんな稀有な読書体験を与えてくれる。


「サイバースペース」について

ところで本書の内容からは外れるのだが、初期のサイバースペースの思想はとりわけ建築学者が飛びつく傾向にあったという指摘は確かに興味深い。本書で取り上げられたマイケル・ベネディクトの『サイバースペース』や

日本でも主に『10+1』を中心にサイバースペースの議論が盛り上がったように思える。

最近では、こういった議論はあまり聞かなくなった。しかし、情報環境、またそういったものを扱う端末が進化し廉価し始めた現在、改めてそういうことを考える時期に来ているのかもしれない。
厳密に言えばサイバースペースとは異なるが、VRやARといったものが登場し始めている。それらはそれ単体で存在感を持つこともあれば、現実と混ざり合うことでより存在感が発揮されることもある。
こうした技術の波及は、その技術の登場と同じくらいインパクトを持つようにも思える。

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