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レクチャー「ゲームのノウハウで日本の建築は世界トップに立つ 」メモ

今日聞いてきたイベントについて簡単に備忘録.「建築」の部分を入れ替えれば何にでも差し替えれそうだが,色々と勉強にはなった(「建築」はほとんど関係なかった).今はゲンロン8のゲーム特集を読んでいるので,タイムリーといえばタイムリーだった.ゲーム系の読書録は下記.


スピーカーはサイトウ・アキヒロ氏(亜細亜大学 都市創造学部 教授)


使いやすいインターフェースについて

●ボタンだらけのリモコンは誰も使えない─使っていないボタン・機能が多い.機能を増やすためにお金かけて,結果としてマイナスの印象を与えるのはどう考えても非効率的では?
●Wiiのリモコンは,少ないボタン数でマニュアルを見ないで老若男女が使いこなす工夫を施している.
●現在は誰もマニュアル読まない.ウェブでマニュアルを読むようになっている.でも,ウェブだとさらに誰も読まない.
昔のATM→直感的な操作性に優れているとはいえない→ゲームならクソゲーレベル!
役所のも意味わからないインターフェースが多い.

●自分の母親が何かを検索するとしたらYahooかGoogleどっちを選ぶ?
→圧倒的にGoogle→なぜなら,直感的な理解ができるから
●画面スクロール下に重要な要素があることに気づかない(パソコンの画面)→ユーザビリティは低い.どれが押せるボタンでどれが画像かわからない.

●ゲームは「インタラクティブ」→リアクションが返ってくる→つまりユーザーが何かしてもらうことを誘わなければいけない
ゲームとは,外部デバイスを使ってテレビ画面を自由に操作する遊び
モニターとコントローラーを使っていかに直感的な操作を導くか,が重要


情報をいかに伝達するか

デジタルやWebサービスはゲームと同じ→情報をいかに伝達するか
テレビゲームは,マニュアルを読まなくても操作が覚えられてプレイできてしまう.いつの間にか段階的に攻略法を学習してクリアできてしまう.
→機能を使い切ることを引き出すことをしている,
長時間にわたって集中してハマってしまう.
ハマるためのノウハウが存在する→ベネッセとの協働→長時間にわたって楽しめる勉強方法を実現できている


ゲームの歴史

ゲーム産業はもともとアメリカで進んでいた.
1977年アタリ VCS←アタリ2600大ヒット.
(ここら辺の歴史は『セガ vs. 任天堂――ゲームの未来を変えた覇権戦争』とか『現代ゲーム全史』などを読まれたし)


他にもいろんなハードが登場
・インテリヴィジョン
→iPodのインターフェースと同じ
・マイクロヴィジョン(1979)→ゲームボーイ(1989)の基礎的なもの?モバイルゲームの走り
・Vectex(1982)→3Dのゲーム プレイステーションの走り(1994)
ゲームの歴史はコントローラの歴史→どんな端末にすればいいか?
スティーブ・ジョブズ→もともとはアタリ社に勤めていた.ゲーム業界の直感的なUIをわかっていた.だから直感的なUIを重視して,製品を生み出した.

アメリカのゲーム産業は進んでいた!

ATARI 2600はアメリカの3家庭に1台が買っていた.
しかし,1982年にアタリショック(=ゲーム市場の崩壊)
原因はゲームの低クオリティ化.供給過剰状態.
アメリカでは,ゲーム産業は死んだ(と思われていた).


一方,日本では
アメリカの「POMG」というゲームを

タイトー「エレポン」
セガ「ポントロン」
→コピー(プログラムに著作権がなかった)から始まった.
任天堂はどちらかというと後発の企業だった.

●1983年にファミコンが任天堂より発売
ファミコンは,ハードだけじゃない.ソフトと組み合わせて新しい体験をどう与えるかを考えた.
任天堂はふたつの分野が共存していた.最初からいかにハードとソフトを組み合わせることができるか,を考えていた.
1986年9月にNintendo Entertaioment System.米国任天堂が進出→パソコンに振り切ろうとしていたアメリカに影響を与えた.

「ゲームニクス」

●任天堂はなぜソフト産業のトップに?→独自の開発ノウハウ→それが「ゲームニクス」
●任天堂はアタリショックの原因を独自に分析した
→アタリは他社のソフトの提供に対して特別な障壁は設けなかった
→そこで,ソフトの質を維持する仕組みの必要性を重視した
「マリオクラブ」という審査機関をつくった
→ユーザー代表がソフトのクオリティを審査する
ほぼ完成したソフトをそこで審査して,点数をつける.80点以上じゃないと売らない,という時代が続いた.
サードパーティのゲームは全部チェック.クソゲーだったら,クソゲーであることを情報をおもちゃ問屋に流していた(おもちゃ屋は入荷ロットを少なくする).
つまり,ワンストップの流通の仕組みをつくっていた.

●任天堂は規定得点に達しないとゲームを発売しない
全年齢に受けいられることを意識しなきゃいけないのが第一だった.
採点表の内訳は
・ビジュアル
・サウンド
・遊びやすさ
・ゲーム性
・満足度
ネームバリューも関係なかった

クリエーターのエゴを排除し、徹底的にユーザーの意見を取り込みおもてなしの対応でつくりこんでいった.

iPhoneをマリオクラブで審査しても→70点
ゲームそのものの面白さだけではなく,操作性が非常に有用であること.
ユーザー中心主義の文化が任天堂


ゲームに夢中にさせるには?


ゲームには夢中にさせるノウハウが詰まっている→ゲームニクス

ゲームニクスとは?
●ゲームとはストレスを与えることが絶対条件→課題を与え続ける.そのために報酬機構をうまく設定する.
ゲーム以外のことでストレスを与えないようにする必要性がある
●コントローラーの存在は、意識としてゼロ(空気)にしなくてはいけない
→結果としてUIが発達

●ゲームニクスの条件─建築との関連性

・直感的で快適なインターフェース
→公共建築やそのサービス→この手順で操作してほしいというロジックがある(ロジック通りにユーザーを導くことは100%可能)
・マニュアル不要のユーザビリティー
→建築への導入→行動に対しての環境反応→ヘルプの的確さ
・はまる演出
→快適なテンポとリズムが得られるか→発見
・段階的な学習効果
→建築を訪問する目的→段階的に住みやすくなっていく
・リアルとバーチャルのリンク
→建築とデジタル操作の快適性→ライフログ→居住生活のデータ→習得率・生活態度・居住者タイプ分類

●スーパーマリオブラザーズの基本動作
・敵を避けながら横移動しゴールを目指す
→マリオを中心から左側にずれて配置する
・ジャンプする
→敵に当たると死ぬということを開始5秒でわからせる.
・ブロックを叩いてアイテムを入手する→大きくなるorコインをとる
→ゲームをはじめて15秒で分かるようにブロックを配置する
敷居が低く,奥が深いつくりとしている


文化論視点─なぜ日本のゲームにおいてゲームニクスが発展したのか?


「もてなしの文化」と「制限による工夫の文化」の結晶

●「もてなしの文化」
・先回しをして押すボタンのレイアウト
・さりげないヘルプ
…etc


●「制限による工夫の文化」
・Aボタン・Bボタン・十字キー(横井軍平の特許技術)
・限られたデバイスの中で多様な操作→行動操作・情緒操作


なせ任天堂は世界のトップか?


A.京都の伝統文化を持っていたから

●東京・江戸・武士を背景にもつクリエイター
→東照宮…(わかりやすいアピール)→最先端・高性能
日本はカタログ・スペック的なわかりやすいアピールしてきた


●京都・平安・公家
→桂離宮(さりげなさ)
さりげなさ・削ぎ落とし・深掘り
箱庭的つくりこみ・優しさ
わかりにくいけど、使いこむとそのリッチさに気づく

●なぜ日本は世界一?
→「インタラクティブメディア」と「おもてなし文化」の相性がよかった
ユーザーエクスペリエンスの時代
日本は「世界一快適な建築空間」をつくれる国

日本的な感性とおもてなしの匠の技→日本建築のすべてに確実に反映できる

●最先端技術のみではユーザーは満足しない
●枯れた技術の水平思考


必要なことは

●インタラクティブ自体が楽しいこと→双方向性をどう醸成していくか
●最近のCM,タレントが楽しんでる映像 が多い(ゲームが出てこない)
●ハードを買いたいのではなく,その空間に住みたい.快適に住みたいという思考がある→それが第一

先端技術は飽和状態
過剰な建築空間など必要ない
ハードウェアの進化は膨大なソフトの処理能力を有するに至った
ハードウェアの機能競争に勝つのではなく,ソフトを重視したおもてなしのものづくりを突き詰めていく.

サポートして頂いたものは書籍購入などにあて,学びをアウトプットしていきたいと思います!