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『シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性』読書メモ

ド名著なので,かつて残した読書メモです.シュルレアリスムは本当に知れば知るほど面白いです.


シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性



シュルレアリスムとは何かに「つきまとわれた」集団
「持続」のなかでの差異


1.ジャック・ヴァシェ、幽霊になる

「シュルレアリスム宣言」→先行者(父)に対する攻撃がほとんど不在
アポリネール「テイレシアスの乳房」
アポリネール(父)はヴァシェによって隠蔽される

父のもとに集まった息子たち、それに続く父の死、その死を介しての、とりわけ息子(ヴァシェ)と父との和解
プログラムされていた死

「磁場」
世界から自らを切り離した視線こそが霊感を受け入れる受皿
ヴァシェは世界から意味を奪い、自ら命を絶ったのでなくてはならない
父を継承することの不可能性→無駄足←ヴァシェの死
自らの生死に対する重要性を見ない精神の帰結としての死
位置づけられえない死
何ものをも創造しない空虚のなかでだけ意味のある何かが到来した

「翻弄」される幽霊は何度でも立ち戻ってくる

ヴァシェ →幽霊 シュルレアリスト ともにある
     →神  以外

「痙攣」 私の真実と現実の拮抗
シュルレアリスム的な複数性→「私は痙攣を崇拝に変えることなしに促進する」


2.誰がフィリップを殺したか

ジェルメーヌ・ベルトン アナーキスト
1923 フィリップ・ドーデの死
ジョルジュ・ヴィダル 自殺
問いにまでさかのぼる

「私たちはジェルメーヌの神話を信じるものである」→「私たちはジェルメーヌの問いを引き受けるものである」
シュルレアリスムの複数性は宗教が挫折することから始まる
スピード写真 ナルシシックな倒錯性
主体性の剥奪とナルシシズムの暴発を同時に引き出す、という性質
見るものの不在によって逆説的にも被撮影者を一方的に見られるものの位置に固定する
ベルティヨン法

死を露呈する顔 死を模倣する

「シュルレアリスム宣言」はシュルレアリスムが何であるかをいうことによって定義を回避する書物であったが、「シュルレアリスム第二宣言」はいわばそれが何でないかをいうことによって定義してしまう


定義可能な痙攣
ディスクールのレベルから語られている対象のレベルへと遡る


3.デスノスが目覚めるとき

「眠りの時代」の実践 予言者デスノス
シレクサーム 謎
「現実僅少論序説」 「無線」とテレパシー
二つの思考を見えない力で結びつける 直接性と間接性の関係
分有されることなく提示された真実としての言葉 偽装


「名詞がそれ自身の形容語句になるという大胆な文法上の形象」 指が指が指が指が指が指が指が 「調理済み言語」「ポンポン」


6.ヒステリーの劇場、霊媒のメッセージ

「ナジャ」二人の認識のズレ
自らの真実が相手にとっての自分自身と一致するのはありえないという事実を突きつけられながら、翻弄され続けたままの状態で書かれた。

「ヒステリー50周年」器質論→心因論
1878 ヒステリー誕生
医師と患者の関係のなかで今ここで作り出されるのであり、「現実」には存在しないと判断されながら、「私の真実」であり、続けてしまう病なのである。
「反復」の病 ファンタスム
フロイト「転物」
ヒステリーとは現実と区別できないような演劇 「気のふれた女たち」
現実生活のなかに存在する演劇性を宿した空間 ギロチン
サルペトリエール
「ミノトール」「アール・ブリュット」
ヴィクトリアン・サルドゥー レオン・プチジャン

エレーヌ・スミットとフルールノワ
霊媒芸術   痙攣の痕跡
「私」と「あなた」 ともにある
ヴァシェの死をめぐるブルトンの真実を共有するのではなくそれにつきまとわれるアラゴン、自分の眠りの生み出したものが自分(たち)の真実をいってないことを受け入れることでシュルレアリスムの複数性を生み出したデスノス、ジェルメーヌ・ベルトンの痙攣について真実をいうことを放棄することで彼女とともにあろうとしたブルトンやアラゴン、そしてヴィオレット・ノジエールに対し、それが現実と齟齬をきたす言葉と知りつつ痙攣者とともに語ってしまうエリュアールやブルトン


1.「ナジャ」あるいは複数性のモラル

テクストのイラストの挿入
「ナジャ」では似ていない
人物や風景の証明写真 「痕跡」
「ナジャ」の人物たちはみな1人である 「現実」性の暴力
キャプション 中断符 本文からの引用
ブルトンの真実←私たちのズレ 主体は真実の外にある
「ナジャ」は痙攣のありかをただ指し示す
表現の破綻であり、破綻した書物である
一つのテクストであることを放棄したテクスト 自画像
同一化を許さない


2.顔の漂流、あるいは幽霊になる方法

過剰な反復  イメージ テクスト
「顔」挿入
書き手に同一化して内側からその「真実」を追体験すべきなのか、共有するのではなく評価すべき「現実」と見なしてその内部にとどまるべきなのか。決定するすべを奪われてしまう。
「真実」と「現実」の齟齬を顕在化させる
エルンストのタブロー
エルンスト  「鳥たちの王」ロプロプ 三重化
自らの顔が自らの真実を伝達するものであるかのように思わせる回路を遮断する。顔を非物質化=記号化することで「複数性」を召喚する
映画ポスターの時間 (代用ポートレイト)
完結せず
永遠でも瞬間でもなくある厚みを持った「現在」とは、独力では「意味」に到達することのない、未来へと差し向けられた時間
約束へと至ることのない映画の俳優

シュルレアリスムにとって顔とは、おのおのが他者の真実につきまとわれてある、そうした関係を作り出すための装置である。
シュルレアリストであることは、互いの顔を幽霊にしあうことである。


3.根拠なし-「数え上げ」について

ブルトン自身の想像する「城」の住人
同一平面に置かれていながら同様のステイタスを持たないような要素の集合を要求すること
シュルレアリスムとは、共有されるものによっても差異によっても基礎づけられてはおらず、伝達の不可能性そのものを条件とした実験への同意によってだけ、基礎を持ちえないものとして基礎づけられるものである
「シュルレアリスム簡約辞典」
矛盾を含みながら増殖していく伝達不可能なものの集積


5.私はあなたに真実を語る

西洋の文学理論 テクスト上に書き付けられる「私」が書き手の主体と一致しない
あらゆるエクリチュールの条件そのもの
「自伝」→「自伝契約」 仮構的二重化
「現実」の時間と「テクスト」の時間とのズレを目に見える形で示す→「文学」
どこまでも作品の時間を拒絶し、文学になりえない私の真実をはさんで他者と向かい合おうとすること、まさに文学の不可能性であるこの関係を隠蔽すまいとする契約関係こそが、シュルレアリスム的複数性である。

シュルレアリスムとは、「真実」を語り、失敗することである。
「終わりなき分析」にはならない。

共有できない真実をいかに機能させることができるかという問いを問い続けることでだけ私はあなたとともにあることができる。


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