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複数の世界を横断する─点群、自動運転、フォトグラメトリ、ゲーム

機械が認識するための世界、限りなく現実に似ているけど「楽しさ」を追求されるようになった世界、現実の雰囲気だけを取り出したような世界...etc

現在、私たちの肉体があるこの「現実世界」を起点として、さまざまなバージョンの世界が生み出されるようになっています。
世界が複数あることをきちんと認識し、それらをうまく享受しながら複数の世界を横断的に楽しむ、そんな時代がくるのではないかと思わされます。

最近、VRChatで体験してきたふたつの「ワールド」から、そんなことをゆるゆると考えてみます。


点描藝大─認識とスケール

「Point Cloud Geidai」
データ提供:gluon、東京藝術大学 金田允弘研究室
ワールド作成:龍 lilea
シェーダー作成:phi16
コーディネーター:番匠カンナ
点群データ最適化協力:麻木浅葱botスーギ・ノウコ自治区masanaga

gluonが進める「#デジタル芸大」の1プロジェクトとして有志によって制作されたVRChatのワールド。

『デジタル芸大』プロジェクトは、上野の東京藝大のキャンパスをデジタルスキャンし、点群データとして取得したものをオープンソースとして提供し、活用のあり方を模索するものです。

点群は建築に近いところでいえば、土木分野でかなり活用されているようで、実際の敷地の現況など、より精確な値を計測し表現できるため、測量ツールとしても優秀なようです。
かつてはめちゃくちゃ高価で限られた人しか使えなかったのですが、最近では廉価化しているので、思い切ってやってみようと思えば、チャレンジできるようになっているので、これからより普及していくのではないかと思います。

しかしながら、かなり莫大なデータ量のため、データ処理に関してはかなり苦労するみたいです(そのあたりは下記のトゥギャッターで)。


説明はそこそこに、ワールドで撮影してきた写真を交えながら、紹介していきましょう。

このワールドの範囲は東京藝大前の都道452号線から陳列館や美術館などがある敷地となります。

このワールドでは点群データという重いデータをどう処理するか、という課題に対して点の総数を減らし「点に大きさを与える」ことで、処理速度を担保したまま元のスケールや雰囲気を表現することに成功しています。

そのため遠くから見ると形などが分かるが、近づくと実体がなくなりひとつひとつの点が見えてくる...
という不思議な見えのワールドとなっています。

この場所をぐるぐる回っていると、点として見えていても、それが何かをギリギリ判別できる。私たちがなにをもってして、ものを「認識」しているのか、そんなことを考えさせられます。

おそらく脚立?

もともとの場所をよく知っている人がいたら、また違った風景に見えるのかもしれません。スケールを伴って表現されたこのワールドは「オルタナティブな現実」とも言えそうです。

この「オルタナティブな現実」では、透明の地面が用意され、私たちの肉体がある「現実世界」とは異なる視点を持つことも可能です。

2階レベルからの視点

アイレベルからはわからない建物同士の重なり具合やビスタライン、抜け、スケールを伴った点群データだからこそ、「オルタナティブな現実」の中で期せずとして意外な風景が現れます。そして、それはこの「現実世界」とも連動しているものです。


この「点描藝大」を巡って感じたのは、私たちは何をもってして「もの」を「もの」として「認識」しているのか、ということ。点描で表現された世界は意外にもそこに多くの「もの」が存在していることを感じさせてくれます。
そして、「もの」は完全再現されずとも、私たちの「現実世界」と関係を持ちうること。点群は「スケール」という点で大きく関係を持っています。この世界で得られたシークエンスや視点は「現実世界」と連関しています。それが「現実世界」にフィードバックされる。ふたつの世界は、私たちを通じて連動しうるのです。



コモン・グラウンド─自動運転、ロボット...

#デジタル芸大」プロジェクトを行うgluon豊田啓介氏は「コモン・グラウンド」というキーワードを発しています。
これは

AIやロボット、自律走行マシンなどのデジタルエージェントに「現実世界」を認識させるための、センサーやアクチュエーター(デジタル信号を物理的な運動に変換する機械)なども取り込んだ、モノと情報の連動環境

というもの。

機械にとって、私たちが住まう三次元の現実空間はまだまだ情報量が多すぎ、捉えきれないものだと言えます。そのため、機械と人間が真に協働するためには、機械が認識するための三次元空間が必要となります。
点群は、そのひとつの要素として「スケール」を伴った三次元空間として有益たるものになる可能性を持ちます。

最近では、「東急電鉄と静岡県が3次元点群データの相互利活用に関する協定を締結」というニュースが出ていました。連携を契機として下田市などでの観光型MaaSでの活用を目指した自動運転の実証実験を行っていくそうです。

自動運転を完成させるためには、自動車自体に眼(センサー)をつけることや、自動車が認識できる3Dの世界を構築することが重要と聞いています。
かつて、愛知万博の際には道路にセンサー(?)を埋め込むことで無人のトラムを実現させていましたが、その路線でいくとすべてのインフラをやりかえなくてはならず、莫大なコストが掛かる。結局、異なる路線に焦点があてられるようになったと聞いたことがあります。
そのひとつの路線が、現実世界の映しを3Dデータとして生み出し、共有する世界。つまり、ここで言われている「コモン・グラウンド」です。しかしながら、機械が認識する世界は私たちとまったく同じ世界である必要もないし、逆にそうであることによって不具合が起きるかもしれません(そもそも現実世界そのまま再現する、というのも何十年後の話になるのやら)。
そして、人間は、人間が存在する「現実空間」を完璧に理解し認識しているとも言えません。もしかしたら人間が認識しているだけの必要な要素に絞った世界をつくるだけでも十分な効果を上げるかもしれません。

その時、私が「点描藝大」で体験した「認識」の感覚は、何かのヒントになるのかもしれません。



高輪橋架道橋フォトグラメトリ─「雰囲気」に特化した保存

「takanawa underpass」
制作:masanaga

もうひとつのワールドの紹介に移りましょう。

今度のワールドは、山手・京浜東北線の田町―品川間の中間地点にある「高輪橋架道橋」をフォトグラメトリによって構成したワールドです。

フォトグラメトリとは、さまざまな方向から撮影した写真や動画から、解析によって3Dモデルを立ち上げる技術のことです。測量などの分野でも活用されます。無料のソフトも存在しており、処理能力のあるパソコンとカメラさえあれば、だれでも挑戦することができます。

工程としては点群データからメッシュを生成することで作成するので、原理的には点群と同じですが、よりビジュアルに特化したものと言えるでしょう(と理解してます)。そのため、点群の状態よりかは細かいスケール感は薄くなっていると言えます。

フォトグラメトリには点群とはまた異なる特徴があるのではないかと思います。それが「雰囲気の保存」です。

この「高輪橋架道橋」は品川新駅に絡む一帯の開発によってなくなることになっています。
天井高1.5m、長さは約250mのこのトンネル状の空間は、東京の「珍名所」として知られていたそうです。

あまりにも低い天井、安全的にも問題ありそうなこの空間がいつまでも残るのは難しいかと思うので、いつかなくなることは必然だったのかもしれません。そして、それを惜しむ人たちによって多くの写真が撮影され、アーカイブが残されるでしょう。
しかしながら、ここの最大の特徴であった

実際の高さは1.6メートルほどと思われるが、ともかくそれより背の高い人は、かがまねば歩けない。
山手線がやってきた。レールの音がどんどん大きくなりながら近づいてくる。ゴーゴーと上を通る大音響に「キャーッ! ウワ――!」とみんな大騒ぎするが、その声もレールの音にかき消されがち。

という体験や雰囲気は写真だけで残すのは難しいでしょう。

フォトグラメトリで生成された「takanawa underpass」は、実際の壁の汚れやライトの様子、湿気などが高さ1.5m、長さ200mの空間を伴って表現されています。また、実際にこの場所で録音された高架下の音が配置され、電車が通る音が再現されています。

つまり、ここでは「雰囲気」が保存されている、と言えそうです(余談ですが、思いがけず入ってしまった笑い声や足音というのが、その印象をさらに強めていました)。

この「takanawa underpass」を巡って感じたのは、なくなってしまった場所を追体験するときにフォトグラメトリは「雰囲気」を保存しているからこそ、非常に有益ではないかということです。

「点描藝大」は「現実世界」との連動によってより更なる可能性を感じましたが、「takanawa underpass」では「現実世界」のアーカイブという意味で別の世界をつくりあげているといえるのかもしれません。

もちろん精確なデータがあることも重要ですが、それが正確に再現されることのほかに、それがどのような「雰囲気」で存在していたのか、その「雰囲気」自体を保存することには大きな可能性があると言えます。



特化した世界─ゲーム

ノートルダム大聖堂の火災に際して、同建築が登場するゲーム「アサシン クリード ユニティ」が無料公開されていました。
著作権の関係でバラ窓などは完全再現とはいかないそうですが、3Dで高精度に再現されたゲーム内で初めてノートルダム大聖堂を体験する人もいるのではないでしょうか。
そして、最も興味深かったのは「アサシン クリード ユニティ」では、ゲームの体験の質(楽しさ)を向上させるために現実の空間から変更が加えられている点です。

私たちの肉体が存在する「現実空間」をベースにつくられたものは、物理的制約によって規定がなされています。しかし、それらが別の世界へ行くとき、その世界の制約やルールによって再規定され、変質していく。
そして、それらの世界はすべてのアクティビティをカバーする必要はなく、ある特定のことをカバーすればいい(ここでは「楽しさ」)。そのことによってまた空間が再定義され、変質していく可能性もあります。もしかしたら、そうしてできた世界が「現実空間」に影響を与えることすらあるかもしれません。

「現実世界」から「特化A世界」「特化B世界」「特化C世界」...
さまざまなバリエーションの世界が生まれ、それらがフィードバックしていく。そのことにより、わたしたち人間が一生で体験できる経験の質やバリエーションがより高まっていくと面白そうです。



複数の世界を横断する

いくつかの世界を体験して感じたのは、「あれかこれか」ではなく「あれもこれも」の重要性です。
リアルかバーチャルか、ではなく、リアルもバーチャルも。世界が複数あることを認識し、それらを横断していくことは、よりそれらの世界への解像度を高めていってくれます。
ここでは点群やフォトグラメトリのような技術を紹介しましたが、ある土地の歴史や地図を調べることもその土地の「別の世界」を体験することと言えます。

さまざまな技術が登場し、歴史や地図を調べることとも異なった「現実世界」を起点とした、これまでになかったさまざまなバージョンの世界が生み出されるようになった現代。
複数の世界を横断することで、人生を楽しむ。そんなことが当たり前に言える世界が近いうちにやってくるのではないかとゆるゆると考えたGWでした。

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