見出し画像

ゲーム学の始まり?─『ゲームする人類—新しいゲーム学の射程』

日本ゲームよ、逆襲せよ!
日本ゲームの本質とは何か。どんな歴史をもっているのか。どんな語られ方をしてきたのか。どんな才能が集まり、どんな作品が生み出されてきたのか。そして、どんな未来を迎えようとしているのか? インベーダーゲームのころからゲームに注目し、『ポケットの中の野生』を書いた中沢新一と、『現代ゲーム全史——文明の遊戯史観から』でいちやく脚光を浴びた気鋭の批評家中川大地が、「ゼビウス」でゲームの歴史を塗り替え、今なおゲームデザインの最前線を走り続ける遠藤雅伸を招いて、日本ゲームの可能性について語りつくす。ゲーム学に新たな視界を切り開く、危険な書の登場!

読了。

『パズドラ』をやっているのが電車の中では女の子ばっかり、など少し実感と違うので、主観的な視点もあるのだろうが、中川大地さんの『現代ゲーム全史』を下敷きに考えれば、これから検討されるであろうゲーム学の射程の広さにワクワクする。

たとえば

中川 ゲームのヴィジュアルは、RPGが3D化してフォトリアリスティックな方向へと進んできましたが、いったんそこまで行ったものを3DSではあえて、2Dのシンボル表現と3Dのフォトリアリスティックな表現の2ヴァージョンを用意して、しかもそのふたつを完全に同期させている。2本ゲームを作る手間をわざわざかけてみせるところに、いかにも日本ゲーム的な空間認知への自覚的なこだわりを感じました。

という部分では、8ビットやドットグラフィックを愛でる私たちのビジュアルへの認知を考えることができる。ひいては建築のパースもフォトリアリスティックにいくのか、シンボル表現にいくのか興味深いところでもある。
プロポーザルなどを見るとフォトリアリスティックな表現が好まれる、という訳ではなく印象論としてはポンチ絵や手書きの提案書が多い。一方で世界中で仕事を勝ち取っている隈研吾氏の事務所はフォトリアリスティックなものが多いように思える。など思考の幅を広げられそうに感じた。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

サポートして頂いたものは書籍購入などにあて,学びをアウトプットしていきたいと思います!