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わたしたち「会社員」は、社会という環境が生み出した、あるパターンの一部にしか過ぎないのだとか云々─『社員たち』


書籍詳細


地中深くに沈んだ会社。社長の愛した怪獣クゲラ。卵になった妻。あっぱれ! 大卒ポンプ。不景気なのか戦時下か、今日を生き抜く社員たち。北野ワールド全開! 超日常の愛しい奇想短編集。

読了.
北野勇作氏のブラックユーモア溢れる奇妙な世界が爽快.

「社員」を描く短編を集めた本作はまさにサラリーマンである我が身に響く内容である.


ある日出勤すると会社は地中深くに沈んでいた.社長も一緒に沈んでしまったために失業保険を得るためには社長を掘り出さなければと,掘り出し始めるが,地中に沈んだのはうちの会社だと言い張るライバル会社が現れたり...な話など奇想に富んだ話が収められる.


「人間というものは─いや、人間に限ったことではなく、我々が知性と呼んでいるもの全般は─それだけで存在しているのではなく、その環境も含めて初めて存在していると言えるのではないか。つまり、環境との相互作用によって生じた動きであり変化、そういうものすべてをひっくるめたものが実体なのだ。
たとえば、滝。
滝というものを構成しているのは水ではあるが、しかし水はあっても、もしそこにあった落差がなくなってしまえば、そこには滝というものは存在し得ない。
それに水。滝の実体そのものであるかのような水にしても、いつもそこにあるように見えていながら、同じ水ではない。水は常に通り過ぎていくだけだ。にもかかわらず、滝はそこに常にある。常にそこにありながら、常にない。
会社員もそれと同じようなものではないか。
落差という環境によって滝というものが存在できるように、会社という環境によって会社員も存在できる。会社が連続しているから、会社員もまたその連続性を保つことができる。
つまり、会社員というのはそれのみでは存在することができない、環境がつくり出したあるパターンのようなものなのだ、と。」

「会社員」。「会社」の「一員」。「サラリーマン」。「サラリー(給料)」を受け取る「マン」。

そこには主体はなく器のみがある。取り替え可能なそれらは環境がつくり出したパターンであり、突如に消えうることもある。「アフォーダンス」よろしく、それらは環境がつくりだしたパターンに沿って動く。
改めて問おう、「会社員」とは「誰」だろう?


それを言うならあなたたちのDNAもまた、自己保存のためのプログラムに過ぎない。
生命とは情報の流れの中に生まれた結節点のようなものだ。
種としての生命は遺伝子という記憶システムを用い、人はただ記憶によって個人たり得る。たとえ記憶が幻の同義語であったとしても、人は記憶によって生きるものだ。コンピューターの普及が記憶の外部化を可能にした時、あなたたちはその意味をもっと真剣に考えるべきだった。

これは人形使いの言葉。

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