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「夢」の中の家

夢の中で自分の家が出てくる。

それは現実においての自分の家に酷似しているが、まったく同じというわけではない。あの扉を開けると寝室だったはずなのに、まったく違う部屋になっている。あそこは押し入れだったはずなのに、通路になっている。どこまでいっても同じ部屋が続いている。なぜか部屋は異様に暗く、どこからか光が漏れている。

急に視界が開けあっけらかんとしたリビングが広がる。窓はぽっかりと四角く開いた穴で、先には黒々とした闇が広がっている。家の周りには大抵なにもない。


頭の中で構築された家は、自身がもっとも親しみある家の情報と経験してきた視覚的知識・情報を統合して「家」らしきものをつくる。それは自分の家なのだが、自分の家ではない。親しみはあるのだが、どこか気味の悪さに満ちている。見慣れているはずなのに、落ち着かない。

夢の中の自分はそれを疑問に思わず、夢の中で普通に過ごしている。ハッと目が醒めると、あれがなんだったのかと自分の家の中を見渡し、そして安心する。


ドイツ語で「不気味な」を意味する単語、「unheimliche」。この単語に含まれている「ハイム」という響きは某住宅メーカーの名前から分かるように「家」に関係するものだ。つまり「unheimliche」とは直訳すると「家でない」「家らしくない」となる。

「不気味な」という言葉に「家」が関係するということは、ともすれば「家」というものが簡単に私たちにとって「不気味なもの」になってしまうということを意味しているように思える。

考えてみれば、私たちが住んでいる家には目に見えない場所が無数にある。天井裏、床下、、、

家の中の見えないところを意識していないでいることで生活できている。そうした見えないところを意識してしまうとひとたび「家」が何だか「気味の悪いもの」に思えてしまう。

おそらく「家」とは潜在的に「不気味さ」を抱えていて、それが或る時私たちの目の前に現れてくる。

私がよく見る夢はそういうことを教えてくれているのかもしれない。

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