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夢の場所、夢の記憶

さて,前回の予告通りに今回は建築計画学の創始者である吉武泰水氏による著書『夢の場所,夢の記憶』を紹介します.

合理性の極みと言っても良い建築計画学をつくり上げた人による夢日記の空間分析という一見チグハグな本書.そのチグハグさがとても興味深い本書を簡単に紹介していきます!

なぜ夢には自分が育った場所がよく現われるのか。25年間にわたってとり続けた自らの夢の記録をもとに、建築計画学の第一人者が、夢に現われる場所/建築の考察に取り組む。

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建築計画学とは?吉武泰水とは?

専門外の方はあまり分からないことかと思いますので,簡単に解説をば.

不動産屋さんで家探しをした方はもちろん耳にしたことであろう●●LDKとか●●DK,これは戦後,建築計画学を発端にしてつくりあげられたもので,その立役者となったのが本書の著者である吉武泰水氏です.

第二次世界大戦以前の住宅というものはいわゆる●●LDK・DKと言った部屋ごとの区分けはなく,ご飯を食べるところは寝る場所でもあり...というように食べる場所や寝る場所など,生活上の用途が部屋によって分けられていませんでした.

しかし,戦後になると急激な人口増加に対応するため,住宅の大量生産.それまでの論理とは異なった形の性能の高い住宅をいかに短期間でつくるかが求められました.

その時登場したのが,西山卯三による「食寝分離論」です.これは当時急速に求められた住宅需要に対応するため,衛生上の問題をクリアしつつ,高性能な住宅をどうつくりだすかを綿密なフィールドワークによって導き出された画期的な考え方で,簡単に言えば,食べる場所と寝る場所を分離するという考え方です.この考え方を敷衍して標準的な設計として整えたのが吉武泰水氏による「51C型」というプランニングです.これは,食堂と台所を一続きとしたダイニングキッチン「DK」をもつ平面計画であり,この考え方はそれ以後の住宅のプランニングに絶大的な影響力を持ちました.例えば,公団による団地などありとあらゆるところでこの考え方が適用されました.

このプランはかつてのような大家族ではなく,核家族という近代的な家族のあり方とマッチしました.以後,建築家たちによって家族像の変容による新しい住宅のつくりかたが提案されますが,いまだに「nLDK」は強い影響力を持っています.(ざっくりなので間違いがあったらご指摘頂けますと幸いです)


なぜ「夢日記」なのか?

さて,今回紹介する『夢の場所,夢の記憶』はそんな経歴を持つ吉武泰水氏による,「夢日記」の分析という一風変わった趣旨の書籍です.

「夢日記」と言えば,詳しい方はご存知かもしれませんが,それを記録し続けると精神に異常をきたしてしまう...なんて曰く付きのオカルティックなものですね.そういったものに建築計画学の祖とも言える氏がのめり込んでいるとは何とも不思議な状況ではないでしょうか.まずはきっかけについて引用してみます.

1971年,当時私が所属していた東大の研究室では,山梨県社会福祉村の精神病院や精神障害者施設を含む総合的計画を手がけており,これがきっかけで精神病や深層心理に関心を持つようになった.(中略)とりわけ河合隼雄の本には大きな影響を受け,本格的に夢の記録をとるようになった.記録に残っている最初の夢は1971年9月末頃のものである.以後,約25年の間に約1100の採集例を得た.

なんと25年ものあいだ記録し続けた「夢日記」が元になっているという本書.それだけでも興味深いです.

記録を取りはじめてしばらくして気づいたのは,成長期に私が過ごした家や町に関連する夢が非常に多いことだった.

本書では,吉武氏が長年記録を取り続けた中での気づきが赤裸々に語られます.

なぜ夢には自分の育った場所がよく現れるのか.また,夢に現れる場所はいったいどういう場所なのか.われわれは夢の中で建築や空間環境とどうかかわっているのか.

こうしたある種素朴とも言える疑問が3つの部に分けられて考察される本書.第一部では吉武氏自身の記録から.第二部では夢想的とも言えるシュルレアリスム絵画を引き合いに,第三部ではカフカのエッセイ『夢』や瀧口修三の『夢三度』を対象に夢の空間についての分析がなされます.


誰かの夢

吉武氏がつけていた夢日記から一節を抜き出してみます.

平坦で 広大な森林の中にほぼ 正方形の 広い草原があり, そのほぼ 中央に たったひとり で立っている.空は灰色に曇り,林は真っ黒く,空き地の草原は白く感じる.目のくらむような孤独感.じっと 立ったままでいる. 気分 に耐えられず,目 をつぶって A→B に 歩いて行く.Bに来てみると,林の 厚み は思ったよりも薄く,歩きながら振り返ると,Cのあたりに 薄いブルー の服の人(女性か?)が遠くかすかに 見え,やっと 人心地 がつく.空も心もち明るく, うす青く 感じる.

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こうした断片的な叙述とともにドローイングや簡素な平面図が提示され,それが何を意味しているか当時の吉武氏自身の状況とともに分析がなされます.

夢の中にどれくらい「家」が登場するのか,などが統計的に分析され,対象のオカルティックさとは裏腹に非常に理知的な分析がなされています.例えば,吉武氏の幼少の経験,昔住んでいた場所の地図などありとあらゆる「記憶」が総動員され分析が進められます.


人間にとって「場所」とは何か

こうした分析の根底には,おそらく人間にとって「家」とは何か,「住む場所」とは何か,という疑問があるのだと思います.そしてその「家」や「住む場所」はその人の人物形成に何の影響を与えているか,などを「夢」を通して知ることができるのではないか,そうした思いが込められているのではないでしょうか.


第三部に出てくる滝口修三の「夢三度」の分析も非常に興味深いです.

そこでは,「旅館」が夢の中での象徴的なビルディングタイプとして登場します.「旅館」には目的不明の部屋が大量にあり,そして,平面的にすごく巨大なビルディングタイプです.その建物の中をさまよい歩く体験が夢として多く登場する.そんなことが言及されています.巨大な空間を歩き回る,それは人間は未知の空間に出会った時は迷うことによってそれを我がものにしようとする,そんな心情の表れではないかと本書では分析されています.「旅館」や「料亭」はそのほか多くの文学作品に登場しており,この感覚はその時代の作家に共通する何らかの空間への認識があったのではないかと思わせる興味深い事例です.

「場所」は人間の精神形成や創作に大きな影響を与えるのではないか.それを「夢」を通して分析する.何ともアクロバティックな思考の本です.


神秘はオカルトではない

終末医療に多大なる貢献をしたエリザベス・キューブラー=ロスは晩年「死後の世界」の研究に精を尽くしました.これは彼女自身が幽体離脱を経験したことから始められたものだと言われています.

このようにある種「神秘」的とも呼ばれるものにこうした研究者がのめり込むことは「人間とは何か?」という素朴な疑問が起因しているのではないかと思います.

オカルトだと何だと言って取り合わないとかはせず,ありとあらゆる物事に対して真面目に考えてみる.そんな学びを身を持って教えてくれるのがこの『夢の場所,夢の記憶』でした.

みなさんもどこかで見かけたらぜひ手に取って読んでみてください!


またもや乱文となり恐縮です.次回は一風変わったペンネームの著者による住宅批判の書籍『現代建築愚作論』をご紹介しようと思います!




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