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「ノートルダム大聖堂をいかに再建するか──リノベーションの創造性を考える」五十嵐太郎×加藤耕一メモ

2019年6月4日にゲンロンカフェで開催された五十嵐太郎氏と加藤耕一氏によるイベントの内容メモ.

※筆者解釈なので、事実誤認等ありましたらご指摘ください

2019年4月15日(現地時間)に発生したパリのノートルダム大聖堂の大規模火災は、フランス国内にとどまらず世界中に大きな衝撃を与えた。

12世紀に建設が始められた初期ゴシック建築の傑作である大聖堂は、その美しさは勿論のこと、ナポレオンの戴冠式やユーゴーの名作『ノートル・ダム・ド・パリ』の舞台になるなど、建築的にも文化的にも重要な存在だ。

石造建築である内部については大きな被害はまぬがれたものの、大聖堂を象徴する尖塔と屋根が焼け落ちたことで、今後の修復・復元に注目が集まっている。
マクロン仏大統領は「5年以内に再建する」という声明を出し、また国際建築コンクールが実施されることが決定した。
しかし、崩れた尖塔や屋根をどのように再建するのかについては、議論が待たれている。

そもそも、建物「本来のすがた」とはなんであろうか。
ゴシックの大聖堂は数世紀をまたいで建築をされるため、途中でデザインが変わることも珍しくないという。また一旦工事が完了した後も、長い歴史のなかで何度も改変や改築がされてきた。崩れた尖塔も19世紀半ばにヴィオレ・ル・デュクという建築家により修復され、それ以前よりも10メートル高いデザインに変えたもの。
今回の再建は、われわれが建物に対する価値について再考する、またとない機会といえよう。

「点の建築史」から「線の建築史」へ

ゴシックの建築の研究などを行い,建築における時間の重要性,リノベーションの創造性を語る加藤氏は著書『時がつくる建築 リノべーションの西洋建築史』をベースに,建築と時間の関係性について解説する.

氏が語るのは既存建築を自然地形と同じように考え,それをベースとして,部材・構造体の再利用を考える「再利用的建築観」だ.


そもそも建築は変わり続ける.
たとえば,南仏のニンムでは元もと円形闘技場として建設されたものが,軍事要塞として転用されている.また,アルルでは円形闘技場が集合住宅として使われることもあった.
最近では,サッカーチームのアーセナルFCが長年ホームスタジアムとして使用していたハイバリー・スタジアムが集合住宅へとリノベーションされ,人気を博している例もある.

さらに深掘りしていくと,建物の完成を指す「竣工」がクローズアップされたのも近代以後の話である.西洋の教会では,主任建築家が何代にも渡ってつくり続けることも行われていた.
つまり,当時の建築には「完成」という概念がなく,建築はそもそもつくりつづけられていくものとして捉えられていた.

近代建築では「竣工」という一つのタイミングに焦点を当て、一つの建築に一人(あるいは一組)の建築家が設計者と記されるようになった。技術の進歩で建設に要する時間が大幅に短縮されたことが一因だろうが、伝統や因習から離れて新たな建築を希求する思想が、新しい状態を良しとする価値観に帰着したことが要因と考えられる。前の世代の仕事を受け継ぐリレー的な創造とモダニズムの思想は相性が悪かった。モダニズムは新たなレースを設定し、新築では第一走者が最終走者となった。竣工時点からの発展がないという点で建築に流れる時間は概念的には止まった状態になる。


また,建築の時間を考える上で「文化財」にすることなど ,「保存」のあり方にも気をつけなければならない.
たとえば,先述したアルルでは,文化財になった瞬間に住民が追い出され,建設当初の闘技場の姿に戻されている.つまり「保存」によって,突如として建築の時間が切断されてしまったのだ.
一概に言えるかはわからないが,こうした態度は「竣工」がクローズアップされることや再開発への過剰な拒否反応が引き金になっているのかもしれない.


五十嵐氏は,19世紀に写真が登場したことや雑誌のシステムが整ったことも要因としてあるのではないかと語った.
写真は「時間」を切り取るものである.ひいては,初期の写真には多くの建築が収められ,まさに「建築の時間が切り取られていた」のだ.
また,雑誌は時間を止めながら進める媒体である.
ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』では,新聞というメディアが登場することで国家という仕組みが成り立ったことが書かれている.

これを読んでいるあなたは、毎朝新聞を読む習慣をもっているに違いない。このときあなたは、ほぼ同時にほぼ同じ情報を得ている――あなたが知らない――読者が、津々浦々にいることを知っている。この読者の共同体が国民の範囲にだいたい相当する

つまり,近代以降の時代では,社会的な変化と共に「時間を止める」ことと「時間を巻き戻すこと」が行われようになり,建築の連続的な時間は切断され,「点」として扱われるようになったのだ.(余談だが,「写真」と「雑誌」が組み合わさった「建築雑誌」は建築の分野において,その最たる例と言えるのかもしれない)


こうした状況に対して,加藤氏は日本に特に見られる「とりあえず壊してから考える」をやめることを述べた.
パリのオルセー美術館は1900年パリ万博につくられた建物であったが,30年くらい使われた後は廃墟として放置されていた.それが再開発によって美術館へと転用され,今では一大観光地となっている.
今生きている人たちの回答がベストになるわけではない,ベストな回答が出てくるまで待つことも必要かもしれない.つまり当然のことなのかもしれないが,「時間をかけて考えましょう」というのがもっとも大切なことなのではないかと言えるのだ.

東浩紀氏による『テーマパーク化する地球』に収録されている「四年後の三月十一日」で触れられている震災遺構の解体にも「とりあえず壊してから考える」に通ずるものがあるように感じられる.


起源はどこに?─ノートルダム大聖堂について

さて,イベントのきっかけとなったノートルダム大聖堂は,マクロン大統領が「5年で再建」,エドゥアール・フィリップ氏が「再建の国際デザインコンペ」が行うと宣言したり,下院で5年での再建が可能にする法案を承認した後,上院が下院法案における政府権限を削除し,「これまで知られていた状態」に復元することを提唱したりと,状況が転々としている.

なぜ新デザインが求められたのかというと,そこには「そもそも本物のノートルダム大聖堂とは?」という問題があるのではないかと加藤氏は語る.
コンペの対象となったノートルダム大聖堂の尖塔はそもそも13世紀に建設されたものであったが,それが1792年に取り壊された.その後1859年にヴィオレ=ル=デュクによって尖塔が修復される.
つまり,1792〜1859年の間に生きていた人びとは尖塔があったことを知らなかったのであり,尖塔がない状態こそがノートルダム大聖堂であったのだ.

そうした状況もあり,ヴィオレ=ル=デュクによって尖塔が修復された時は市民からの批判が随分あったそうだ.
それは,存在していないと思われていた尖塔が突如修復されたことも影響しているが,デュクによる修復が創建当時のものをなぞらえたものではない創造的/想像的な修復であったからだ.
つまり,デュクは修復においてデザインすることを試みたのだ.

ここにはヴィオレ=ル=デュクの「修復」への考え方が影響している.
その考え方とは「過去のいかなる瞬間にも存在しなかったかもしれない完全な状態に建物を戻す」というものだ.
戻すと思っても建築は変化し続けている.どこかに時間を戻すある一点を選ぶことは不可能である.そのため,一番良い状態を考えてデザインする.

デュクの考え方には純粋な起源が設定できるという近代的な考え方とも異なる思想がある.
もともとは4層構成であった内部を3層構成,一部4層に戻すなど違う時間を混在させる手つきなど,デュクの修復には建築の時間性へと接続させる意識が存在している.

160年という時間はデュクのデザインにある一定の強度をもたらしていると言えると思う.しかし,それは「オリジナル」と言えるのか?そして,そもそも再建する時に起源とはどこになるのか?
こうした背景がノートルダム大聖堂の尖塔の再建を考える時に立ちはだかっているのだろうか.

ノートルダム大聖堂の一連の動きは政治的パフォーマンスの側面がありそうな感じはするが,建築が持つ時間や近代が醸成した起源という考え方によって問題が複雑化しているのかもしれない.

感想

建築とは長い時間生き続け,変化し続けていくものだからこそ,加藤氏の述べる「再利用的建築観」や「時間をかけて考えること」が重要なのだろう.建築は0←→100ではない.
間断と変化し続けるその物質に対して,私たちはやはり「考え続けねばならない」.そんな(本来ならば)当たり前のことを再認識したイベントとなった.

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