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「あの日から。32」

2015年12月16日になった。いよいよ明日は実家に早めに帰省して、母と妹を連れて大病院に行き、母のオペ前提での大きな検査が20個近くあった。

時間にしたら丸々一日かかるはずだ。病院中を歩き検査から検査に順番に回って行き最後に担当のDrとの話し合いになる。多分、この日はオペの話は決まらないのではないか?と思っていた私であった。

朝の時間が過ぎ、我が家は我が家で、夫は鎌倉の事務所に。娘は仕事場にそれぞれが行き私は自宅で明日の支度と実家のフォローに回った。実家に朝の電話をした。母が出たが大問題は、父のデイサービスがあった。明日父がデイサービスに行ってくれないと誰かが父についていてあげなくてはならない。父には申し訳ないが、この時はもう家族全員が母の事しか考えなかった。だから父がどんな事を言っても、デイサービスで嫌なことがあり行きたくないというのは、父のワガママと決めつけ父に半ば強制的にでも、明日はデイサービスに行ってもらわないと困るというお願いを強いてしまった。

父は、とりあえずデイサービスに行ってくれた。

お父さん、、ごめんね。お父さんの本当の気持ちをわかってあげられずに。

そうここからだ。私は自分のしてきたことに精一杯ではあったけど、きっとどこかで慢心があり自信があったのだと思うし家族が皆が私のいう事を聞いてくれそのように、動いてくれた事をどこかで誇らしく思っていたに違いないと自分で思う。

私のエゴだ。

裸の王様もいいところだ。

もっと早く気がつけば良かった。父の本当の心に沿ってあげたらよかった。後悔の心はどんどん積み重なっていくようなことが、起きてしまう。

それでも、そのことに気がつかない私は明日のことで頭が一杯で父が明日、デイサービスに行ってくれることを電話で聞くと、あゝ良かった。父はわかってくれたと勝手に思い込んで良し!とか言っていた。

バカ娘だ。

とはいえ明日はかなり大変な日程で、一泊するとはいえ私自身の体の調整はできておらず休めないのでどうしても無理がきてしまいこの頃から、私の手術後、根治と言われた場所がシクシク痛むようになり、目眩が時々するので気をつけて歩いた。走ると、動悸が止まらなくなりまた頻脈などになったら困るというのが私の中の不安であったがその事は誰にも言わなかった。

お昼ぐらいに自分の確認や持ち物の確認も終わり、少しゆっくりした時間を持ち、とにかく、私の中で全てが全部成功するというイメージを強く持つように、時間を過ごしていた。

2015年12月16日である。明日は、母の大きな検査だ。

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ふく

濃い、B型3人家族です。私の書くことは、全て、ノンフィクションです。
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