見出し画像

「定量的・表面的なデータで人を理解できるか?」 【#YJMS2019】DOUBT! THE MEDIA.

ちょっと(というかかなり)間が開いてしまいましたが、先日の #YJMS2019 の内容での振り返りのnoteを書きたいなと。

このセッションは全体を通して

「定量的・表面的なデータで人を理解できるか?」

この部分が話の肝であったように僕は感じました。

ユーザーをデータから理解できるか?という議題に対してクラシコムの青木さん(@kohei_a)は「そもそもデータでは、人の行動はわからないと思っている」と打ち出します。

「インターネットが登場し、ユーザー行動に関する定量的なデータがここ最近で溢れてくるようになった。結果、"データがあれば人の行動は分かる"と思う人が増えてきた。だが、本当にそうなのだろうか?」

そもそも理解できないと思っているため、クラシコムは「データを活用して◯◯をする」というようなマインドではなく、徹底的に「自分たちであればどうか?」を深堀りすることを意識しているとのこと。

「ほとんどの人は "特別" ではなく、誰かと似ていたり、同じことを考えたりしている。であれば、 "自分が欲しい・やりたい事" を徹底的に追求すべきだと考えている。

この議論に対してdelyの堀江さん(@santamariaHORI)も自社メディアを事例に、定量的なデータだけで人を知るのは難しいと話します。

例えばKurashiruであれば、読者の定性的なキャラクター像みたいなものは調べてると分かってくる。しかし、それを定量的なデータで表すことは不可能に近い。

そのような話の流れから、議題は「PV」という指標の話へ。
旧インターネット時代に生まれた「PV」は、指標としてアップデートされるべきだと登壇者は口を揃えて話します。

「評価指標の "PV" が単一でもいいのか?動画の1PVとウェブサイトのPVの価値は同価値ではない。旧インターネット時代に作られた指標は疑うべきなのでは。」

「その1PVは、どんな1PVなのか?(受動的なのか、能動的なのか)」

「初めてたまたまウェブサイトに訪れた人の1PVと、そのウェブサイトのコンテクストを理解した上での1PVの価値も違う。」

そしてこの1PVの重みを作れるのは「ブランド」なのでは?と議論は展開されます。

「"お腹すいた"をただの人が言ってもいいねつかないけど、HIKAKINが言ったらとんでもないいいねがつく。誰が何を言ったかが大事。信頼のスコアリング。」

「誰が何を言うかが大事。例えば料理動画であればKurashiruに出稿するより、動画作ってFacebookに動画広告出稿するほうが安くない?みたいなのがあった。でも、それは違う。Kurashiruで出すから意味がある。それはKurashiruというブランドが信頼のスコアリングになっている。」

「インターネット以前の雑誌であれば当たり前の話だった。例えばどの雑誌で紹介されているか?が重要だった。それがなぜかウェブメディアになった時に考えられなくなる。」

インターネット以前の雑誌であれば当たり前の話だった、というのは本当にそうだなと目から鱗でした。雑誌は1冊単位で購入して閲覧するのに対して、ウェブサイトはページ単位で見ることが多いためにこのようなことが起こっているのではと壇上で話されていました。なるほどなるほど(小並感)

そして「誰」が言うか?が大事という文脈は、今のインフルエンサー全盛期においては見逃せないポイントだなと個人的に感じました。

と、同時に、この「PV」という指標に対する問題提起は、インフルエンサーの「フォロワー数」絶対主義にも通ずることであるなと。

インフルエンサーそれぞれが違う文脈を持っているのにも関わらず、単純にフォロワー数・コメント数・いいね数だけで見るのはウェブメディアのPV数至上主義と同じ構造なのではないでしょうか。

全体の話をまとめると

✔PV数、フォロワー数等の数値だけに固執するのではなく、本質的なそのPV・フォロワー数の価値は何かを追求する(どういった意図でその記事を見たのか、アカウントをフォローしたのか)

✔その数値の価値を上げるために「ブランド」が必要。誰にとっても良い悪いではなく、"自分の文脈" にとって価値のある「ブランド」

上記が、抑えるべきポイントであると感じました。

お金がなさすぎて死にそう(死にそう)