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あの夏のぬけがらを捨てられず、今も生きているのかな。 音楽のことば①〔ルーレット/真島昌利〕

もう少しおたがいの事を 利用できるほどタフだったら
オレ達がはなれる理由は 何一つなかったんだろう

[ルーレット]作詞・作曲 真島昌利 からの引用


ありがちな質問。

「あなたがもし無人島に1枚だけCDを持っていくなら何? 」

ってやつ。

(ん? 今だと配信とかだしCDもレコードも買わないひとが多いから、この質問が成立しなくなっているかも? ひえぇぇ )


いつかどこかで、この問いを投げかけられたら、何って言おうかなぁ? と、考えるのが好きです。


そのときの自分の精神状態で毎回チョイスは変わるのだけれど、必ず候補にあがるのは

夏のぬけがら』 真島昌利(1989年)

これは説明不要、名盤中の名盤。


実際、「生涯ナンバーワン・アルバム」としてこの名前を挙げる友人も数名おりますし、きっと私と同じ世代(所謂アラフィフ)で、若いころ
パンクだの~ バンドだの~
にうつつを抜かしていたタイプの方々には、めちゃくちゃ響く1枚でしょう。


嗚呼、私には見える……。この文章を読んで辛抱たまらなくなり、今まさにCDラックでホコリをかぶった『夏のぬけがら』へ手を伸ばしている同世代たちの姿が……。いいんだよ、さぁ、久しぶりに取り出して、大きなボリュームで聴くがいい。そして大きな声をあげて、泣くがいい!!!(伊藤政則氏風)


私がこのアルバムと出会ったのは19歳という微妙なお年ごろのとき。
何をやっても冴えなくて、思い返してみても、あのころが自分史上いちばんブスだった。見た目だけの問題じゃない、中身も全部ブス。あんなヤツとは友達になりたくないなと思う。


そんなときに出会った、優しさのみで出来ているこのアルバム。ささくれた私の心の中へ、素朴に、そして穏やかそうでありながら、ガッツリ重みを残す歌詞の秀逸さたるや。これでもかと、せつなさというとどめを突き刺してくるそのことばひとつひとつを、嚙みしめるように聴きまくったものです。


ただ聴くだけでなく、そのころ、ある遊びにハマっていました。


それは、このアルバムをカセットテープにダビングしたものをポータブルオーディオプレイヤー(『ウォークマン』ではない! )で聴きながら、山陽電車という西神戸エリアから姫路までを走るローカル鉄道に乗り、何往復もするという遊びでした。


山陽電車の車窓から見える、田舎の寂しげな田園風景と、アルバムタイトル通り「ぬけがら感」の漂う楽曲たちが絶妙にマッチして、泣けて泣けてどうしようもなくなるのです。


……なんという情緒不安定な遊びなのでしょうか。自分を追い込んで追い込んで、どうしようもないイライラを、泣くことによって昇華させていました。


時は流れて。


50をすぎた現在も、実はたまに聴いては泣いております。(絶賛情緒不安定継続中。さすがに山陽電車往復はしていませんが。)そんな、ずっとずっとそっと寄り添ってくれている、ありがたーい1枚。


全ての曲が好きですが、やはりその時その時でマイベスト・ナンバーは変わります。


50代となった私の、現在 最も心に沁みるナンバーは、アルバム最後に収録されている『ルーレット』でしょうか。


歌詞に出てくる、不器用すぎるところが似ているふたり。それぞれが今、どうしているのだろうかと想像すると、自分にあてはまる部分がいくつもあるような気がします。


友達だけでなく、家族や、恋人。
今はもうそばにいないひとたちと、どうしてずっと一緒にいられなかったのだろうかと考えたときに感じる、自分の不器用さ。相手の不器用さ。


私は自分の過去に対して「タラレバ」を当てはめるのが嫌いなのですが、この曲を聴くときだけは、ちょっとだけ想像してみてもいいかなって自分を許すことにしています。


『ルーレット』を聴くと、あの夏、不器用すぎて雑に脱ぎ捨てたぬけがらを、また拾い集めてきてしまう。そして胸が痛む。ちゃんと畳んで、もう二度と出せないところへ仕舞っておくことが、できていればよかったのにね。




(ところで、ぬけがらを捨てて飛び出した中身はどこにいるのだろう? いつかみつかるのか?? ) 






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