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マナスル登頂

マナスルに登頂してきました。
世界8位の標高8163mあり、8000m峰では唯一日本人が初登頂を果たした山として有名です。

今回のマナスル登頂には一般にはイレギュラーと思われることがいつくかあったのでお話ししてみます。

1.急な参加

8月29日、僕は8月中旬頃からヨーロッパのレストラン巡りをしていてパリに滞在中で、翌30日からはバックパッカーでアフリカでも旅しようと、マリ共和国行きのフライトを取っている状態でした。
そんな中、たまたま日本のアドベンチャーガイヅ(AG)の社長であり2018年に僕をエベレスト登頂に導いてくれた近藤謙司さんとメールをしていたところ、来週からマナスルに行ってくるよとの連絡をもらった。
AG隊がネパールのカトマンズに入るのは9月3日の予定だそうだ。5日後だ。

それを聞いた僕は、まともな登山なんて2019年5月のデナリ登山以来でトレーニングはしていないし、登山道具がちゃんと揃っているかわからないし、そもそもパリにいるが、一か八か、今から参加できないか聞いてみた。
1日でパリから東京に戻り、3日で登山道具を揃え、1日でネパール入りすることは物理的に可能だ。
しばらく刺激のある環境から離れてしまっていたので、また人が生存できない極地に行ってみたいと思った。

近藤さんからの返事は、5日後だけど本気で参加するの?という驚きもありつつ、僕のキャラクターも知ってくれているので、入山許可など含めて今から参加可能か確認してみると。
結果、参加可能とわかったため、即決し、マリ行きのフライトは捨てて、日本帰国便を手配しつつ、AGに登山費用320万円を振り込んだ。

パリにいて5日後からの登山参加を急だと思う人がいるかもしれないが、物理的に可能なものが急なはずがない。これを急だと思う人は、単に心の準備ができていないだけではないかと思うが、そもそも心の準備って何なのかわからないので、障害は何もない。

また、8000m峰の登山といっても、生活、人生の一部に過ぎずにサラッと挑戦していけば良いと思っているので、元々、ヨーロッパ→アフリカ→ヨーロッパ→日本と予定していた旅程のうちアフリカ滞在の一部をマナスル登山に組み替えるだけの話だ。

だから、マナスル登頂後は、登山用品だけ日本に送り、またアフリカかヨーロッパに戻る予定だし、ベースキャンプにいながらもヨーロッパのレストラン予約をしていた。

2.足の捻挫

マナスル登山がスタートして、2日目に左足首を捻挫してしまった。
サマ村というマナスルの麓の町にいて、高度順応のためのトレッキングの日だったが、トレッキング終了後に平地で油断して歩いていたら拳大の石を踏んでしまった。
数時間は平気だったが、患部がどんどん腫れ上がり熱くなり、この晩は両脇を抱えてもらえないと自分で歩けない程だった。
翌日以降はサマ村からマナスルベースキャンプに移動する予定だったが、僕は動けず、一度ヘリでカトマンズに戻って入院することにした。
念の為、骨に異常がないことをチェックしつつ、高所ではない場所で治癒に努めるためだ。
が、結局、天候が悪くてヘリが飛ばない日が続き、サマ村で何日か滞在しているうちにカトマンズに戻っている時間がなくなり、ヘリでベースキャンプに移動することなった。
ベースキャンプに着いてからは、高度順応のためにC1やC2を往復するという行程が始まる。

まだまだまともに歩けないが、アタック日は20日くらい先の話だ。
この時点で捻挫をしたからといって諦める必要は全くない。
山中で治癒させつつ、体調を仕上げていけば良い。焦る必要はないし、自分でリミッターを設ける必要はない。

結果、最後まで足は痛かったが、痛みなんて我慢してしまえばノーカウントなので、何も問題なく登頂することができた。
ベースキャンプに下山した今も左足が痛くて、引きずって歩いているが、だからといって我慢できるんだから問題ではない。

3.アタック日の問題いろいろ

アタックはテンジンというほぼ初対面のシェルパとバディを組むことになった。
アタックを始めて、少しずつ高度を上げて登り続けていくが、テンジンが10歩程度歩く度に一呼吸の休憩をしようとし続けてきた。
テンポが悪く、なんでこんなに休み休みしながら登っていくんだと思って、よく観察してみると、毎回同じルーティンで体を動かしている。
不思議になってさらに見ていると、小さなお辞儀をしていることがわかった。
なんだこれは?と思って、テンジンに確認すると、やや怒ったように、不満があるなら先に行けといった感じで言い返された。
後からわかったことだが、テンジンは敬虔な仏教徒で、マナスルは聖霊の山とも呼ばれている神聖な山のため、要は巡礼登山を兼ねているようだった。
しかし、僕からすると関係ない話だし、テンジンも仕事中なわけだが、8000mでテンジンとの関係を悪化させるわけにもいかず、テンジンの望み通り、何百回ものルーティンお辞儀に付き合わされつつ登山を続けることになった。
ペースが悪くて凄く登りかかったが仕方がない。

それから、テンジンとのコミュニケーションがやや悪くなりつつ登山を続け、サミットまで1時間程度となった地点で、急にテンジンが予備の酸素ボンベを雪に埋めて登ると言い出した。
僕が現在進行形で使用している一本があれば大丈夫とのことだったが、8000m以上の標高でどんなトラブルが起きるかもわからないのに、予備ボンベを置いて登るのは自殺行為だ。しかし、素人の僕がシェルパに逆らえるはずもなく。

ただ、そのまま登って行った際、別の隊のシェルパと立ち話をした際に僕の酸素ボンベをチェックしてもらったところ、残量が少なくて危ないと。
一帯どういうことかとテンジンに問いただすが、明確な回答もなく、やはり置いてきた予備ボンベを取りに行こうと。
全く意味不明だが、サミット直前で、一旦高度を下げて置いてきた予備ボンベを回収に行くという無駄行動をすることに。
これもやむを得ない。

その後、無事に登頂したが、テンジンはもう仕事を終えた気分なのか、下山まで何時間も道のりがあるにもかかわらず、もはや僕に興味がなくなったかのように一緒に下山しようとしない。
仕方ないので、先に降りるということで僕がゆっくり下山を進めるも、テンジンは付いて来ずにどこかに行ってしまった。

帰り道もはっきりわからず、足跡を頼りに下山して行ったが、全く関係ない場所に辿り着いてしまい、使用中の酸素ボンベがあるだけなのに遭難してしまうのではないかと不安になった。ただ、たまたま中国隊の団体がおり、そのチームがキャンプ3に降りる予定とわかったので一緒に行動させてもらった。

さらに、エイト管という下山時に使用するギアをテンジンに預けたままだったため、下山行程も苦労させられた。

そんなこんなで、アタック時にはいろんな厄介なことがあったが、8000mで自分の思う合理性を主張したところでまとまるとも思えず、全て登山の一部だと思って、やり切るようにした。


というわけで、いろいろありつつ、全て想定内と思ってやっていけば、なんやかんや結果はついてくるものだと改めて思ったというお話です。

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