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マナスル4日目まで

1.カトマンズを出発

マナスル登山のため、ネパールの首都カトマンズを出て、マナスル登山のスタート地点となるサマ村に向かいます。

メンバーは日本人ガイド2人、サミットを狙うクライアント6人、ベースキャンプまでのトレッキングチームが4人。

まずは車でアルケットという小さな町まで向かう。ここは、サマ村に近くでヘリポートがあるため、今日はアルケットまで移動し、翌日にヘリでサマ村に入る予定だ。

カトマンズは標高1500mくらいあるが、アルケットは500mくらい。

朝9時にホテルを出発して、午後1時頃に途中でランチ休憩。
2時に再出発して、夕方5時にアルケットに到着。今夜はここで一泊。



2.サマ村へ移動

朝6時に起きて朝ご飯を食べ、町の外れにあるヘリポートに移動。
アルケットは朝靄が出るし、サマ村は午後から霧が出るので、その間の数時間のうちに飛ぶ必要がある。
ヘリ1機にパイロットの他5人乗りなので、荷物含めて何往復かする。片道20分程度。
テンポが悪いと隊が2つに分かれて後半の組は翌日移動になることもある。
サマ村は標高3500mなので、一気に富士山頂上に近い高さになる。
一機目だけサマ村を往復したところ、燃料が足りないということで、給油のためにカトマンズに戻ることになった。

その後、何時間か待ったが、午後1時に無事にフライトでき、1時半までにサマ村に着く。

サマ村に到着後は高度順応のために休養。
狭い村をぐるぐる歩き回ったり、ストレッチしたり、水分を何リットルも飲んだりしつつ、高度順応をする。

今夜から、メンバーのバイタル計測が始まったが、僕の血中酸素飽和度(SpO2)は98で完璧だった。

3.マナスル初日

寝起きのSpO2は95と好調。
今日は高度順応のために、3900mくらいにある小さなお寺に行って帰ってくる。だいたい6時間くらいの行程。

帰り道には野口健さんが寄付して建てた学校があるので、そこに寄り、みんなで現金や物資の寄付をして、子供達と触れ合ってきた。

今夜もロッジで宿泊。

4.マナスル2日目

寝起きのSpO2は90ちょいで、少し下がっていた。

今日は4300mまでトレッキングで高度順応。
登山は4年ぶりだし、トレーニングが足りていないので、わざと荷物を少し重めにして、またトレッキングポールを使わずに下半身だけで登るようにした。
まずは足腰や体幹を鍛え直していきたかったからだ。

8時過ぎに出発して、ロッジに戻ったの14時半。
16時からフィックスロープの練習をした。

ところで、トレッキングから戻った際、うっかり足を踏んで足を挫いてしまっていた。
何時間かはどうってことはなかったが、夜になってから急激に痛み出し、動かすことは不可能で、傷めた足を接地させることさえできなくなった。
夜は動かさなくても痛みで寝られない程だったので、痛み止めを飲んだ。



5.マナスル3日目

寝起きのSpO2は82と、エベレスト登山時では考えられないような悪い数値だった。とはいえ、他の登山者は元からこれぐらいではあるが。
僕については、体が怪我の治療を優先しているのだろうと考えておいた。

本当は今日はベースキャンプに上がる予定だったが、僕はとても歩ける状態ではないので、サマ村に残ることにした。
さらに、出来ればヘリでカトマンズに戻り、念のため、骨に影響がないことを確認しつつ、山中よりも酸素濃度が高いカトマンズ市内で捻挫の治癒をしようと思った。

しかし、天候が悪くてヘリが飛べず、今日はサマ村で安静にすることにした。

6.マナスル4日目

僕以外のメンバーがベースキャンプに上がって行ったので、SpO2の計測もせず。
足はまだまだ痛いが、昨日に比べるとかなり楽になった。
午後ぐらいには、傷めた足だけで立つこともできるようになっていたし、可動域を固定すれば少し歩けるぐらいにはなっていた。

他方、相変わらず天気が悪くて、ヘリが飛べない。
病院に行くタイミングがどんどん遅くなるが、そうであれば今更骨の検査は不要だろうし、一度カトマンズに戻ったら、またマナスルに戻って来れなくなるのも嫌なので、カトマンズには戻らずにヘリでベースキャンプに移動することにした。

しかし、結局今日も天候が悪くてヘリが飛べず、サマ村で停滞することになった。
明日はトレッキングチームは帰国のためにベースキャンプを出る日だ。
明日もヘリが飛ばないと、トレッキングチームの帰国が延びてしまうだろうな。

天気が良ければ、僕はサマ村からベースキャンプにヘリで移動し、トレッキングチームがそのヘリでサマ村、カトマンズと戻ることになるだろう。

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