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【第8話】麗華を羨みながら嫉妬する隣人・皆美の闇――誰かの“正しさ”が別の誰かを追いつめるジレンマ

●自分を卑下する皆美にとって、麗華の“正しさ”は息苦しい

これまで、有島家の事情を何かと詮索しようとウザ絡みしてくるご近所さん、というサブキャラにすぎないと思われていた横山皆美(中川翔子)が、第8話では、彼女がドラマにとってきわめて重要なテーマを提示してくれる回であった。

家族で動物公園に出かけることになった有島(鈴木伸之)と麗華(仲里依紗)を、羨ましそうに見つめる皆美。有島が思わず社交辞令で「一緒にどうですか?」と声をかけると、すかさず「主人に車出してもらいます!」と乗っかってくる。

売り物のクッキーを手作りと偽ってまで自分に近づこうとする彼女のうっとうしさを知っている麗華は、内心うんざりしながら「光軌は優しいね」と嫌味を言う。

動物公園では、娘・亜胡ちゃんの動物園デビューにはしゃいで写真を撮りまくる有島の子煩悩ぶりと、それを冷ややかに見つめてシラけている皆美の夫・良明(山岸門人)の姿が対照的だ。この、かつみ&さゆりのかつみと木下ほうかを足して若返らせたような顔の良明という男、第1話のわずかな出演シーンでもその片鱗を覗かせていたが、相当なモラハラ夫である。

家事・育児は基本、妻まかせで無関心。そのくせ皆美がちょっとトロくさいところを見せると、その落ち度をクドクド叱責し、人前でも「あいつ、あったま悪いからなあ」「バカだから」を連発する。

離乳食の知識がなかった皆美を「調べりゃわかんだろ? ね、バカでしょう?」と貶めると、麗華は「母親一年生ですから、私も知らないことばかりですよ」と遠回しにフォローを入れるが、「奥さんは違いますよ」と良明は意に介さない。挙げ句、子供に向かって「あーあ。お前も無知な母親に育てられて、かわいそうだな」と、皆美をさらに萎縮させる。

これに黙っていられなかったのが、有島だ。

有島「僕は、母親をバカ呼ばわりする父親を見て育つのも、けっこうかわいそうだと思いますけどね

毅然とそう言い放つと、「麗華、帰るぞ」とその場を後にするのだ。ネットの創作実話や、あるいは『痛快TVスカッとジャパン』なら、賞賛されるべき“正しい”行動だろう。だが、麗華の反応は違った。

麗華「本当に優しいのね。あなたはこの場から去ればいいけど、私はこれからもお付き合いがあるんですけど

現実を当たり障りなく穏便にやり過ごしたい善良な小市民にとって、誰かの気まぐれな正義感は、ときに平穏をかき乱す迷惑になってしまう。そんな理不尽をあぶり出す居心地の悪いシーンである。

そして、麗華が有島に「光軌は優しいのね」と言うとき、それは決して褒め言葉としては使われないことにも注目したい(第2話には、まんま「優しいのも考えものですけど」とつぶやく場面もあった)。そこには、言外に必ず「誰にでもいい顔して、うわべの優しさを振りまいちゃって」という批判のニュアンスが含まれている。

おそらく麗華は、彼の“誰にでも優しい”部分と“女好きの浮気性”な部分が、根本的に同じ性質からくるものであることを見抜いているのだろう。だからこそ、それが自分にだけ向けられないことが気に食わないのだ。

そもそも彼女が有島を好きになった理由は、「自分とはまったく違う遠いグループにいた人なのに、なぜか自分を選んでくれた」から。誰にでも優しくできるコミュ強のはずの有島が、“私にだけ特別”でいてくれることが重要だったのだ。

気まずくなった有島は、失点を挽回しようと慌てて“俺しか知らないお前の素顔”アピールをして、「つらいときもどんなときも、ずっと一緒にいられると思った」と言うが、美都(波瑠)との浮気がバレた今となっては、空しく響くだけ。「結婚式の誓いの言葉みたいね」と笑い飛ばされてしまう。

麗華「どうして、ずっとウソをつき通してくれなかったの?」
有島「だって、お前責めるだろ?」
麗華「責めてない。本当のことを言ってるだけ」
有島「それが俺には無理なんだよ」

確かに、麗華は有島の浮気を直接糾弾したことは一度もない。事実の指摘を積み上げ、彼が罪悪感に押しつぶされて自分から自白するのを待っていただけだ。彼女にとっては、有島が意地でも浮気を認めず、シラを切り通すことが“私にだけ特別”を証明する誠実で正しい対応だったらしいが、これはさすがに有島にとって難易度の高すぎる酷なクイズだろう。

さて、帰宅後、動物公園での非礼を詫びる麗華だったが、皆美は「私、バカだから、ホント言われても仕方なくて……」と自分を卑下する。モラハラ夫に人格否定され続け、“自分がすべて悪い”というマインドに洗脳されてしまっているようだ。

麗華に対して過剰にすり寄って仲良くなろうとしていたのも、夫から認めてもらえない疎外感と、泰然自若に振る舞う(ように見える)麗華への羨望ゆえと考えれば納得がいく。

横山「私、何もできなくて、変なところで見栄張っちゃって。誰かに褒めてもらいたくて……」
麗華「つらいって言えばいいのよ、ご主人に。一生懸命やってるんだから」
横山「そんなこと言ったって、通じない……」
麗華「そう言わないと、ずっと伝わらないよ?
横山「私じゃダメなの。有島さんは、いつも自信たっぷりで、正しいこと、いつも言えるんだろうね

麗華の「夫につらいと訴えなきゃ伝わらない」というアドバイスは正論だが、すっかり自尊感情が低くなっている皆美にとって、その“正しさ”は、自分の努力が足りないと責められているように聞こえてしまうのではないだろうか。有島の“正しさ”に欺瞞を感じていた麗華もまた、“正しさ”によって皆美に息苦しさを負わせてしまったことになる。

●涼太のサイコホラー感の正体は、“正しさ”の圧倒的なズレ

この“正しさ”による抑圧というテーマが、第8話には終始一貫して流れていた。

たとえば、美都の母・悦子(麻生祐未)は、涼太(東出昌大)と美都の仲に介入しようとする小田原(山崎育三郎)に対して、「下品な親子ですみませんねえ。でも、よその夫婦を偉そうにああだこうだ言う“清く正しい人”って、もっと下品じゃない?」とチクリ。“正しさ”でもって他人の事情を一方的に断罪することを批判している。

また、かねてよりまっとうな正論で美都の不倫をこき下ろし、断固許さない立場を取ってきた香子(大政絢)は、涼太の“いい人”の側面しか見ておらず、その狂気を知らない。そのため、2人が元サヤに収まるのが当然正しい選択だと思っている。

だが、そんな彼女に、有島は「香子ちゃんは聞いてた通り、いつでも正しいよね」「でもさ、香子ちゃん。あんたのいい人が、他の人にもいい人じゃないだろ。いい人でもイヤだろ。イヤなやつでもいいだろ。俺は、あいつの旦那は、怖いよ」と訴える。誰かにとっての“正しさ”が、他の人にとっては脅威になり得ることを指摘するのだ。

そう考えると、美都を追いつめている涼太の偏執的な言動も、彼なりの“正しさ”に従っているだけと言えるだろう。

涼太の道徳規範である「お天道様は見ている」は、彼の母親の口癖だったというが、彼いわく、母親は「何もできない人」だったらしい。父親はそんな彼女を一切責めることなく、「かわいくて、いい人で、愚かな人」だから、と無条件に愛し続けたという。

まるできれいなお人形に向けるような一方的で歪んだ愛情にも見えるが、涼太にとっては両親のそんな姿だけが“無償の愛”や“夫婦愛”のモデルケースだったわけだ。

小田原「渡辺は、別れる気ないみたいです。もしかしたら、それでも美都さんを受け入れることが、正しいと思ってるのかもしれません」

小田原もこう指摘するように、妻に何をされても、変わらず受け入れ、愛し続けることが彼の“正しさ”なのである。その“正しさ”が、自分の感情に蓋をして、彼を意固地にさせ、美都を怯えさせているのに。

第8話で美都は、生理の遅れに気付き、妊娠しているかもしれないことを告げる。もし本当なら、時期的に有島の子であることは明らかだ。だが、この期に及んでもなお、涼太は事態を受け入れようとする。

涼太「みっちゃん、それは……僕の子だよ」
美都「そんなわけないでしょ?」
涼太「僕の子供として、育てるよ。きっと、愛情をもって育てられるから」
美都「無理。ホントにそんなこと考えてるなら……ちょっと頭おかしいよ?」
涼太「え、そうなの? ……でも、おそばは食べるでしょ?」

「頭おかしい」と言われて「え、そうなの?」とキョトン顔で返す涼太の話の通じなさは、めちゃくちゃ不気味で怖い。それは、彼の考える“正しさ”の基準や尺度が、美都や我われ視聴者のものと、あまりに違うからである。

“一般的な価値観や良識が通用しない”というのは、まさにサイコホラーの恐怖の根拠そのもの。このドラマにおける涼太が、ときにホラー映画的な演出で撮られてきたのは、あながち間違いではなかったのだ。美都にとって、今の涼太はもはや、ミザリーやレクター博士と同じ“理解の範疇を超える存在”になってしまっている。だから、もう「無理」なのだ。

有島の“正しさ”は、麗華にとっては欺瞞で憎らしい。
麗華の“正しさ”は、皆美をますます卑屈にさせる。
小田原の“正しさ”は、悦子に言わせれば下品。
香子の“正しさ”は、有島には一面的でうっとうしい。
涼太の“正しさ”は、美都にもはや恐怖しか与えない。

このドラマは、誰かにとっての“正しさ”が、ときに別の弱い誰かを追いつめる“強さ”になってしまう、という息苦しさの連鎖を描いているのである。

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【2019年の福田から一言】
この回と次の第9話は、大衆がなぜ「ポリコレ疲れ」してしまうのか、という問題に迫っていて、このドラマのひとつの到達点だったと思います。「誰かにとっての“正しさ”は、ときに別の弱い誰かを追いつめる“強さ”になってしまう」というジレンマは、今も変わらず、いろんな差別や人権にまつわる炎上案件をややこしくしてしまっている根本原因って感じがしますね。

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