『ごめんね青春!』第1話をレビューする

クドカンの『あまちゃん』後第一作目ということで、いやが上にも期待が高まる新ドラマ『ごめんね青春!』ですが、その第1話を見て、想像以上にこれまでのクドカンドラマ史を塗り替えるエポックメイキング的作品になりそうな予感がしたので、これからその期待がよっぽど大ハズレにならない限り、極力全話のレビューをしていきたいと思います。

■第1話「恥と後悔と初恋の記録」レビュー(2014.10.12OA)

まず、このドラマの特筆すべき点は、クドカンが自身の代表作である『池袋ウエストゲートパーク』『木更津キャッツアイ』『うぬぼれ刑事』などで繰り返し描いてきた“男子校ノリのホモソーシャルなユートピア世界”がグラグラと揺らいでいくさまを描く、きわめて自己反省的/自己批評的な作品におそらくはなるだろう、ということです。

“それまで犬猿の仲だった男子校と女子校が、合併・共学化を余儀なくされて共同生活が始まる”という基本設定がアナウンスされた時点で、このドラマが従来のジェンダー観を戯画化して、なんらかの批評性を持たせた作品になるであろうことは予感していました。

しかし、自身が男子校出身であるクドカンが、放送前のコメントで「現実では体験できなかった男女共学幻想をドラマの中で再現したくなりました」「いじめも体罰も学級崩壊もなく、ただ漫然と1クールを描き切る」と宣言していたように、いわゆる“男子校/女子校あるある”をクドカン流ギャグにのせて巧みにちりばめながら、どこかファンタジックで牧歌的な学園コメディが展開されるのだろう、と見くびっていたのも正直なところです。

事実、第1話の前半では、「質実剛健」(まさに“男らしさ”規範の象徴!)を校訓とする仏教系男子校である駒形大学付属三島高校(通称:東高)の生徒たちによる、実に低偏差値校らしい下ネタ全開の“男子校あるある”エピソードが炸裂します。

・隣接する聖三島女学院(通称:三女)に通学する女子生徒を見て、バストカップや、処女か否かを品評する
・おっぱい揉みたいというムラムラを、デブの男子生徒の胸を揉んで解消している
・唯一の女性教諭・淡島舞(坂井真紀)は、かつてはマドンナ的存在で生徒からセクハラ発言でからかわれ、現在は30歳過ぎて処女ではないかという疑いで腫れ物扱いされている
・教師の原平助(錦戸亮)がかつて東高の生徒だった時代、三女生と共同で使っていたプールの更衣室をのぞこうとした思い出話を語る

ほかにも、平助の父・平太(風間杜夫)は、平助の兄・一平(えなりかずき)の妻で元グラドルのエレナ(中村静香)をいやらしい目で見ていて、「一平はタダで触ってるのに、なぜ俺はダメなんだ!」というセリフがあるなど、いわゆる“フェミクラスタ”の方々が見たら、一発でアウト認定を食らいそうな描写が続きます。

興味深いのは、三女生の着替えを躍起になってのぞこうとした思い出を語る平助と、生徒の海老沢(重岡大毅)との間で交わされる以下のやりとりです。

海老沢「(女子生徒の着替えを)そんなに見たいかなあ?」
平助「俺だって、言うほど見たいわけじゃなかったけどさあ、東高生独特のノリに逆らえなかったっていうか」
海老沢「あ〜たしかに、みんな狂ってるときに、一人醒めてると集中的にdisられますよね

つまり、男子集団の同調圧力によって、“下品のチキンレース”から降りられなくなるホモソ男子特有のノリが、ここで説明されるわけです。

また、東高の硬派な生徒会長・半田(鈴木貴之)は、三女の生活指導教諭・蜂谷りさ(満島ひかり)から、合併・共学化への意見を求められ、「誇りある我が東高生を代表して…」と口を開きますが、すぐさま蜂谷に「個人の意見も言えない生徒会長に聞いてもしょうがない!」と制止されてしまいます。
「誇りある我が東高」という共同体を背負わないと自分の立場を言えないホモソ的態度が、責められているのです。

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平助は、男女共学の賛否をクラスの生徒たちに尋ねますが、男社会の居心地のよさにどっぷり浸かった生徒たちは、「下ネタフリー」「とりあえず脱いだら爆笑取れる」というメリット以外、男女別学のデメリットが思いつきません。
そこで、平助は金八先生の授業よろしく、黒板に突然こう書きます。

今は誰とも付き合えない

女子に告白してこう言われた場合、付き合える可能性は0%であると告げられ、衝撃と動揺が走る生徒たち。
「遠回しな言い方だけど、要するにこういうことです」と言うと、平助は続けてこう書きます。

彼氏はいないけどお前とは付き合いたくない

平助「これが本音です。なぜはっきり言わないのか。嫌いな男にすら、嫌われたくないからです。だいたい誰とも付き合わないって言った女が誰とも付き合わなかったことなんかないんです。付き合うからね、必ず、お前以外の誰かと!」

彼がなぜこんな“女の本音あるある”を熱く語り出したのか。それは、彼自身が東高生だった14年前の手痛い失恋のトラウマに深く関わってくるわけですが、そのエピソードはここでは割愛。
とにかく、こうした女子の気持ちを理解し、コミュニケーションスキルを早めに培っておかないと大変なことになるから、男女共学は早めにしたほうがいいと平助は訴えるのです。

平助「恥をかくなら、少しでも早いほうがいい。女子と向き合え。そして冴えない自分と向き合え。(略)モテない言い訳考えてる時間がもったいないぞ!」

こうして生徒たちの賛成を取り付け、東高と三女が1クラスずつ、半年間だけ男女共学になるというお試し期間がスタートします。

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……と、ここまでで終わっていれば、不器用だけど生徒思いの教師・平助が一歩を踏み出す、幸先のいい無難な第1話だったのですが、話はここで終わりません。

東高の海老原には、かねてからこっそり付き合っている阿部あまり(森川葵)という三女の生徒がいました。
両校の男女交際は禁止されているため、卒業するまで距離を置いたほうがいいのではないか、と言う海老原の草食な態度に対して、あまりは当初、“男らしい王子様”になることを要求します。

あまり「私もっと強引なのが好き! 校則がなんだよ、受験がなんだよ、あまりんのこと好きなら、もっと強引に奪ってよ!」

ところが、いざ男女共学が実現することになると、あまりは急に交際に消極的になります。その理由を彼女は、“女子校での私はキャラが違って恥ずかしいからだ”と説明します。

あまり「海老沢くんの前だけなの、ありのままの、あまりんでいられるのは」

でも、彼女の本音はちょっと違いました。
名門カトリック系女子校である三女生にとって、偏差値の低い東高生との交際は、どうやら恥ずかしくてクラスメイトに言いたくないようなのです。
そして、海老原には見せたくない別の姿も……。

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さて、第1話のラスト、女の園に浮き足立つ生徒たちとともに、三女の門をくぐった平助は、女子の教室に踏み込むと意気込んで挨拶をします。

平助「蜂谷先生に代わってこのクラスの担任になりました、原平助です。生徒からは、原先生とか、平ちゃんとか、平と助を逆にして、助平なんて、呼ばれてます」

男子生徒たちは笑いますが、女子生徒たちは無反応です。

平助「知っての通り、三女と東高は、来年度からの合併・共学化に向けて動き出しました。諸君は、その歴史を動かすパイオニアであり、後輩にバトンを渡す第一走者でもある」

しらけたままの女子生徒たちに、平助は焦りはじめます。

平助「まあ、固く考えないで、楽しくやろう。ほら、彼らも普段女っ気のない生活を送ってたもんだから、なあ、目のやり場に困るなあ?」

男子生徒の照れ笑いと、女子生徒の乾いた愛想笑い。
海老原は、愛しのあまりに何度もこっそり手を振りますが、無視されてしまいます。

平助「自己紹介しっかり頼むぞ。この中に、未来の伴侶となる人が、いないとも限らないんだから。少子化だなんだって言われてるけど、男子も女子もお互いの立場をよく理解して、向き合うことが…」

そのとき、学級委員の中井貴子(黒島結菜)が「先生、これ授業ですか?」とカットインしてきて、教室の空気が一変します。
続いて、あまりに手を振る海老原を見て勘違いした神保愛(川栄李奈)が、突如ドスの利いたヤンキー声で「つうかおめえ何チラチラ見てんだよ!」とメンチを切ります。

マスクを投げつける神保に、「女の子がこんなことしちゃ…」と平助が言いかけると、中井は立ち上がって毅然とこう畳み掛けるのです。

中井「女の子だからいけないんですか? 男子だったら物投げていいんですか? チャイムも鳴っていないのに入ってきて、生ぬるい精神論聞かされて、色目使われて、それでも女子は我慢しろってことですか? 我慢してこの中から将来の伴侶を見つけて、子供産めってことですか?」

「愛・謙遜・純潔」(これまた“女らしさ”の規範そのものですね)を校訓とするお嬢様学校の生徒からの、思いもよらないレジスタンスにビビる東高チーム。
よかれと思った平助の言葉や、男子生徒の態度は、ことごとく地雷だったわけです。

そう、ここまでずっと牧歌的に描かれていた(そして、従来のクドカンドラマが肯定していた)“ホモソ男子のユートピア”が、最後の最後で否定され、これが“ジェンダー闘争”のドラマであることを暗示させて、第1話は幕を閉じます。

そして、女子生徒の抗戦ムードに押されたあまりは、交際相手であるはずの海老原に、とうとうこう叫んでしまうのです。

あまり「見るんじゃねえこのオカマ野郎、セクハラで訴えっぞコラ!」

海老原の前で見せる少女漫画的なヒロイン像と、女子特有の同調圧力に強いられたキャラとの狭間で揺れ動く、“ありのまま”の彼女の葛藤についても、この先の展開で語られることになるでしょう。

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このドラマは、冒頭で「原平助、31歳・独身が、自分の青春に落とし前をつけ、青春を卒業するまでの物語」だと語られます。

性欲と“男らしさ”の規範をこじらせた男性が、思春期に植え付けられたトラウマやファンタジーと訣別し、乗り越えていく。

おそらくそんな物語になるであろうこのドラマのタイトルを、『さよなら青春!』ではなく、『ごめんね青春!』と名付けたセンスに、このドラマの重要なエッセンスが隠されているような気がします。


■第1話その他の見どころ

・「伊豆箱根鉄道=通称いずっぱこ」というローカル鉄道を軸に物語の舞台を説明するのは、明らかに『あまちゃん』を意識したセルフオマージュですよね。

・『ゴッドタン』の「アイドル飲み姿カワイイGP」で密かに注目を集めた中村静香を、兄嫁の元アイドル役に起用するセンスのよさ!

・永山絢斗が錦戸亮を壁ドンするサービスシーン。あざといが、それもまたよし。

・最後にぶち切れるAKB川栄のヤンキー演技の凄みと迫力は、素晴らしいの一言に尽きます・笑

・従来の学園コメディだったらステレオタイプな“ブスキャラ”として扱われるであろう遠藤いずみ(富山えり子)が、この先どういうキャラと内面の持ち主として描かれるのかは、けっこう大事なところなのでは。

・クドカンドラマにおける“母性”の役割を一手に担う森下愛子が、またしても母親役。しかも、本作では彼女はすでに亡くなっており、観音菩薩像の姿に仮託して平助の前に表れる、という設定が興味深い。

・キリストという“父性”の象徴を信仰する女子校と、菩薩という“母性”の象徴を信仰する男子校、という反転した対比。特に、平助にとって観音菩薩はまさに亡き母親の姿で現れるというのが、ものすごく示唆的。

・『木更津キャッツアイ』で教頭役を演じた緋田康人が、またしても教頭役。

・高校時代、親友のサトシだけが呼んでいた平助のあだ名“べーやん”は、『木更津』の“ぶっさん”をどこか彷彿とさせる。……と思ったら、なんと『木更津』第8話に登場する魔性の女・観月あさりだけが、ぶっさんのことを“べーやん”と呼ぶエピソードがありましたね!

・この辺り、意図的なのか偶然なのか、パラレル感があるなあと思う。ひょっとしたら“べーやん”こと原平助は、ホモソユートピアの外へ投げ出された「生き延びてしまった“ぶっさん”」なのかもしれないなあ、とか。


■第1話の名言

みゆき「一平、あんたはポロシャツにしなさい、ポロシャツ顔なんだから

(えなりかずき演じる一平に対する、母・みゆきのセリフ)

次点候補
・吉井(斉藤由貴)「あなた、いけしゃあしゃあ教の教祖なの?」
・平太「俺の慈悲深さ、仏超えたぜ」

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