深夜のコンビニ

深夜のコンビニに行く。
目的はない。ただ、無性に食べ物が欲しかった。
食事制限がなんになるんだ。手術の目的もわたしの中では意味のないものになった。目標も見返したい気持ちも昨日の夕闇に落としてきた。堀田通を泣きながら歩いて涙をふみしだいてひたすら歩いて途中はどう通ったかわからないがうっかり自宅に帰っていた。
 それまで大事に大事にしてきたものが全部こなごなになり、自分でひとつひとつ後悔を涙にして垂れ流してそれを踏んで帰るというのはヘンゼルとグレーテルとは似て異なる。家に帰りたくはなかったが、消える勇気もなにもなかっただけだ。
帰宅途上の最寄駅脇の献花をみて、わたしは今日も死ねなかったなと思ったことだけは確かだ(鉄道は子供達のためにやめておく)(母が死んだら学費にしなさい)
 1日一万歩!オシャレして街でしゃんとして歩いて人の目を意識する、スニーカーばかり履かない、食事は高タンパク低カロリー、1日3回ラジオ体操、内職して本を買う、インプットを増やす…自分磨きの全ての目標、目的が意味のないものになった。
 安いけれど買い集めた洋服たちを泣きながらゴミ袋に入れた。何の意味があるものか。誰もわたしなんか見てないよ。自意識過剰かよ。
会費を払ってしまったもろもろが不必要になった。なんでなんでなんでなんで。そこにわたしの居場所はないと告げられたからだ。
 泣きながら歯を食いしばりながら走ってきた意味なんかなかった。
 血反吐を吐き、血のような涙を流し、寝込んだりしながらも立ち上がってきた目指す一本の柱が自分を殴る丸太になり、わたしは人の形だけ留めた生命体になった。
魂は全て涙になり堀田通に落として自らの足が踏みしだいた。
深夜のコンビニは優しい。時間もカロリーも糖質も関係なく食べ物が並ぶ。食べる楽しみを失っていたわたしはもう何にも関係ないやと目についたものからカゴに入れる。胃の縫合部が破れたら再手術で半年間絶食ならまだマシでショック死もありうる。本望だ。
今、生きていたいと思える要因など何もない。

しかし、だ。
帰宅して袋を見てゲンナリした。
わたしの選んだ食品が低カロリー、糖質オフ、高タンパクな食品だったからだ。こんなもん食べたくないとコンビニの袋ごと冷蔵庫にぶち込んだ。
なんてくだらない生き方してんだろ。

帰り道ふらふら横断歩道を歩くわたしに轢くぞと怒鳴ったイキったハリアーのにいちゃんになんで轢いてくれなかったんだよ、と言い返した記憶だけが蘇った。
青信号に侵入して怒鳴る馬鹿ドライバーと生きる意味もやってきたことも人権も喪失して抜け殻の四十路過ぎの女が世の中から消えるチャンスだったのに。怒鳴るぐらいなら減速しないで轢いていけよ馬鹿。轢くぞじゃない、轢けよ。


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