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別れの準備

記事は当時のFBを引用することが多いのですが(わたしの記憶領域の問題)これは完全に書き下ろし文です。

……………

日めくりを一枚一枚ちぎるよう
一人一人と別れを告げゆく 

そんな拙歌を詠んでいた。
実際に生まれた街ではないものの、両実家にアクセスもよく、慣れ親しみ子育てしてきたところでそのままずっとみんなで笑い合いながら生きていくと思っていた。

お母さん同士の距離感もベタベタではなく、
何かあれば んじゃ、みんなでやっぺ!(やろう)とか、誰かに何かあれば「ちょっと、あんた大丈夫なのー?」というぐらい。
悪さすれば「ごめーん、まとめて怒っといたからー」で、いい事をしたのをみたら「ちょっと!●●くんすごいねー!たいしたもんだわー」と。
フラットにみんなで子育て感があった。
息子の学年と娘の学年でも雰囲気は違うが概ねそんな感じ。
PTAも輪番なので じゃー、今年は役(順番)だからやんなんないからサポートよろしくー、な感じ。
わたしは二回も大役をやってしまった、うっかり。でも周囲のサポートでやれた。なんなら 一体感すらあった。田舎ならではなのと、県民性調査で「日本一のお人好し県」と言われる所以であろう。

そんな福島だけかも知れないが、鼓笛隊というものが大概の学校にある。マーチング、ですね。福島市内はテレビ放映されたり、そうでなくても田舎の定例行事であり、交通規制すらある。

そして年度末には移杖式があり、後輩に指揮棒と楽器を引き継ぐ。

転勤が決まって最初の行事がこれだった。

息子は合唱部に黒一点的に所属し、さらに鼓笛隊もトランペット隊を希望し、トランペットを譲り受けてまで練習するほどに熱心であった。

そんな兄を見ている妹にも憧れがあったのか1年生だった娘はにいちゃんしか見ていない…。

しかし!移杖式どころじゃなかった。

カトちゃん、名古屋とかマジ?
キャンセル効かないの?(旅行じゃない)
ずっと一緒にみんなで育っていくと思ってた!
飲み会、飲み会やっぺ!盛大にやっぺ!
旦那単身赴任でよくない?
他に仕事ないのかー!!

大騒ぎであった。

普段クールなお母さんが涙ぐみながら
「うちの娘と長男くんはずっと一緒に歩いていくと思ってた。根拠はないんだけど確信があった。娘と双子の片割れのようだったから辛い…」と。
誕生日2日違い。快活な彼女とおっとりな息子は合唱部で4年間、クラスは6年間変わらなかった。ソウルメイトのような関係だったから、わたしも本気でそう思っていて、特に話し合ったことはないのに(寡黙で大人な)彼女に言われたことに胸を突かれた。

そして彼女は言った。

「行く前に一度、飲みましょうね」

…わたし=酒。

合唱部ママで飲むかー!が延期になっていたし、なんなら役員だけでいいかな?って話が 一番参加しなそうな彼女の発言で先生を巻き込んだお疲れ様会がすぐさま決まった。

いつまでもこの人たちの中で生きていたい、と本気で思った。
だいたい、その街にきたときも孤独だった。子育てしているうちに一人一人関係を築き上げてきたのである。

だから、名古屋でも大丈夫!と少し過信していた。

いや、過信どころではない。
名古屋を知らなすぎたのだ、わたしは。

甘かった。実に甘かった。
引越しの大変さ、会社との条件相違のあまり
オットが転勤断ろうか?とすら言ったが、あまりの安月給ぶりに行くしかないと思った。

しかし、転勤してから可処分所得が激減することにまだ気づいてなかった。

会社の嘘つき。名古屋に住む上に経営は三河人。三代目ボンボン。最悪のケースだ…

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