見出し画像

「自分の世界」は自分で選べる

東京駅の前とか、どこでもいいので人がたくさんいる中に立って、ぐるっと360度見回してみる。多分、そこには何百、何千という人達がいるはずです。

では、果たしてその中に「知り合い」と言える人は何人いるでしょうか?自分の仕事場の近くでもない限り、「誰もいない」という可能性の方が高いのではないかと思います。

山手線の定員は一編成で約1,700名らしいので、1両あたり約160名。でも、たまたま乗った山手線で、偶然知り合いに会うことはほとんどありません。

何が言いたいのかというと、「同じ空間にいても、自分と同じ『世界』にいる人はとても少ない」ということです。電車に乗って隣に座った人。あなたとその人の距離はとても近いけれど、多分、その人とは二度と会うこともなく、この機会を逃せば一生会話をすることもないでしょう。つまり、あなたとその人は「違う世界に住んでいる」ということです。

そして、どの世界に住むか?は、あなた自身が選択することができるのです。

あなたの望む世界はどんな世界?

noteでこんな記事を見つけました。

タイトルに目を引かれて読んでみたところ、その中で東大入学式での祝辞についての記事が引用されていました。

努力が報われるのは、たまたまその努力が報いるような恵まれた環境にいただけ

あらかじめお断りしておくと、私が気になったのは、この祝辞が本当に伝えたかった内容ではありません。内容ではなく、上に書いた「努力が報われるのは、たまたまその努力が報いるような恵まれた環境にいただけ」という言葉です(なので、もとの祝辞とは関係ありません)。

私はいつも、「自分が信じているほとんどのことは真実ではなく、自分自身の『信じ込み』である」と考えています。そして、信じ込みは非常に大きなパワーを持っていて、あたかもそれが真実であるかのように作用します。

すべての事が「あなたはあなたが出したものを受け取る」という宇宙の法則に従っているとすれば、それは当然のことでしょう。自分が「これが真実だ!」と思って、そういうエネルギーを発していれば、それに同調する現実が引き寄せられるからです。

東京駅や山手線の話から始まり、一体なにが言いたいのかというと、あなたの住む世界は、あなた自身が選択できると言うことです。

「努力が報われるのは、たまたまその努力が報いるような恵まれた環境にいただけ」という言葉を聞くと、「運が良ければ努力が報われる。普通はそんなことはない」と感じると思いますが、それは真実ではありません。

もっと言ってしまうと、「努力しなくても報われる」という環境も存在します。それだったら、そっちの方が良いと思いませんか?

信じ込みは無意識のうちに作り上げられる

「努力が報われることは少ない」とか、「がんばっても達成できるとは限らない」というような情報を何度も何度も聞いていると、それがあなたの潜在意識にすり込まれていきます。仮にそれが、自分が望まないものだとしてもです。

すると、何かにトライしようと思ったとき、瞬間的に「でも、無理かもしれない」と反応してしまうようになります。そして、ネガティブな感情が生まれ、ネガティブなエネルギーを発してしまうので、ネガティブな現実を引き寄せる結果に繋がります。

先ほどの言葉をもう一度読み返してみましょう。

努力が報われるのは、たまたまその努力が報いるような恵まれた環境にいただけ

仮にこれが本当だとします。では、この言葉をちょっと言い換えるとどうなるか。

常に努力が報われる訳ではないが、努力が報いる恵まれた環境が存在する

と言うこともできます。そして、もしも「自分が住む世界は自分で選択できる」としたら?もしもそうだとしたら、「努力が報いる世界に住む」という選択が可能と言うことです。

自分の人生は自分で創る。それが考えのベースになると、人生はもっともっと楽しくなるはずです。

おまけ

「努力」という言葉についても思うところがあるので、次回はそのことについてお話しします♪

読んでいただいてありがとうございます。何かを感じてもらえたら嬉しいです。これまでの経験について本にしようと考えています。よろしければポチッと・・・。