見出し画像

035:バリは刑務所もヒンドゥ教がベース

インドネシアの人口はどれくらいか知っていますか?国土はあまり大きな印象がないかもしれませんが、人口は日本の約2倍となる2億4千万人で、実は中国・インド・アメリカに次いで世界第4位という大きな国です。

そして、その90%近くがイスラム教徒で、中東の国々も比較にならないくらいの世界最大のイスラム国家なのです。そんなインドネシアの中で、バリ島だけはその比率が逆転し、90%以上がバリ・ヒンドゥ教を信仰しています。インドネシア全体でヒンドゥ教を信仰している人は2%以下なので、バリ島は特別な島といえるでしょう。

ヒンドゥ教はバリの人達の生活・文化・風習の基礎となっていて、あらゆることに影響しますが、それは刑務所の中も例外ではありません。

全てはヒンドゥの信仰がベース

ヒンドゥ教にはたくさんの祝日があります。その中のひとつ、210日ごとに「ガルンガン・クニンガン」と呼ばれる日本のお盆に相当する祝日があるのですが、この間は裁判が行われないだけでなく、多くのお店もクローズしてしまいます。

そこで問題になるのが私の食事。ガルンガンとクニンガン、それぞれ3日の間はいつも作ってくれる日本食レストランもお休み。弁護士事務所も休み。食事を創ってくれる人も運んでくれる人もいないのです。仕方がないのでカップラーメンやフルーツなど、日持ちしそうなものを事前に届けてもらうことにして乗り切ろうということになりました。

あるとき、その話を面会に来てくれたホテルのスタッフに話すと、彼らは「自分達が毎日交替で持ってきてあげるから大丈夫」と言ってくれました。

その言葉を聞いた時、本当に嬉しい気持ちで一杯になりました。ホテルがオープンする前の準備期間も入れると、もう2年以上一緒に仕事をし時間を共有してきた彼らは、家族のように感じていました。でも、状況や立場が変わっても、それまでと変わらずに接してくれる彼らを見ていると、本当にありがたいと思ったのです。そしてその反面、「こんな素晴らしいスタッフなのに、もう二度と彼らと一緒に仕事をすることはできないんだ」という事実に直面し、淋しさも感じました。

ヒンドゥ教徒の人達は刑務所の中にいても、ガルンガンとクニンガンのお祝いをします。私も知り合いになったバリ人にサロンを借り、正装してお寺に行くことにしました。もちろん塀の外に出ることはできないので、行くのは刑務所内にあるお寺なのですが、実際に訪れてみると、そこは今まで訪れたお寺と変わらない、非常に立派なお寺でした。

お寺は私がいたB棟から離れた場所にあったため、それまでは訪れたことがなかったのですが、こんなに立派なお寺が敷地の中にあったとは驚きで、それは一瞬、「いつの間にか刑務所の外に出たのかな?」と錯覚してしまうほどでした。

お寺でのやすらぎのひととき

ガルンガンとクニンガンの間は、何度かお寺に行きました。毎回、お祈りをするのはもちろん、時間があるときは少し瞑想をしたりしまんですが、お寺にいる時はいつもとは違って、心がとても穏やかになるのを感じました

心が落ち着いた状態でゆったりと過ごしていると、いろいろな感情や思いが浮かんできました。ある日、瞑想をしているときに「未来の富に感謝する」という気持ちが浮かんできたと同時に、こんなことを思いました。

私は良いことも悪いことも全て受け入れます。来るものは受け取り、去るものは手放し、来る人は歓迎し、去る人には別れを告げます。
将来、より多くの人々により多くを与える事ができるようになります。
お金も思いもエネルギーも、自分が満たされれば自然にまわりにも流れていくはずなので、いつも流れをイメージして、自分のレベルを上げること意識します。

突然警察官がやって来て拘束されたあの朝から約1ヶ月半。この時は既に12月になっていました。裁判の結果はまだ出ておらず、はたしていつ日本に帰れるかもわかりませんでした。ポジティブに考えられる要因は何ひとつない状態だったのです。

でも、ガルンガン・クニンガンの間にお寺で数日を過ごしてから不思議とネガティブな気持ちがなくなり「全てを受け入れよう。きっと大丈夫」という思いで心が満たされていくのを感じることができました。

読んでいただいてありがとうございます。何かを感じてもらえたら嬉しいです。これまでの経験について本にしようと考えています。よろしければポチッと・・・。