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絵画のゼロ年代――VOCA展選考所感の言説分析から

ゼロ年代の現代絵画について総括することは、かなり難しい。なぜなら、その前半と後半をそれぞれ「スーパーフラット」と「マイクロポップ」というムーブメントが力強く牽引したのは間違いないとしても、両者に全体を代表させることができないほど、ゼロ年代の絵画は豊かな多様性によって成り立っていることも事実だからだ。一方で、天明屋尚や三瀬夏之介、山本太郎、松井冬子といった新たな日本画が台頭し、他方で故・石田徹也をはじめ、鴻池朋子、篠原愛、指江昌克らにいたる具象絵画が大いに人気を集めた。あるいは佐伯洋江や冨谷悦子、ましもゆき、鈴木まさ子らによる細密画の潮流も、ゼロ年代の大きな特徴といえるかもしれない。抽象画にしても、80年代に見られた熱気はもはや望めないものの、80歳を越えて再デビューを果たした石山朔が強烈な印象を残した。ゼロ年代の10年は、ことほどかように多種多様な絵画作品が生産されたのだった。

この絵画の豊饒は、いったいどんな条件に由来しているのだろうか。この問題を解明するために、私はVOCA展をケーススタディとした言説分析を行なった。それは、「40歳以下の平面の作家を対象」として毎年春に催されるこの展覧会が、多少のタイムラグは否めないにせよ、日本の現在を生きる若者たちによる絵画表現の実態をある程度正確に反映していると考えられるからであり、また選考委員による短いテキストが、現代絵画をめぐる言説の推移を如実に物語っていると考えられるからである。ここでそのすべてを発表することは叶わないが、部分的な調査結果をもとに絵画のゼロ年代を振り返ってみたい。

VOCA展は第一生命保険会社による全面的な支援のもと1994年にはじまり、次回の2010年には17回目を迎える日本随一のコンクール展で、若手作家の登竜門として定着して久しい。全国の美術館学芸員や美術評論家、美術記者などから推薦された作家すべてに出品を依頼し、その中から選考委員がVOCA賞などいくつかの賞を授賞するという仕組みである。選考委員は毎年流動的に入れ代わるものの、比較的継続して務めているのが、高階秀爾(大原美術館館長)、酒井忠康(世田谷美術館館長)、建畠晢(国立国際美術館館長)、本江邦夫(多摩美術大学教授)の4名で、以上をコアメンバーとしてその都度新たな人材を迎え入れているというのが実情のようだ。毎回発行される図録には、作品図版とともに、選考委員による所感が必ず発表されているが、そこには審査の基準から、時局の趨勢、揺るぎない芸術的信念、出品作家への苦言などが端的に開陳されており、読めば読むほど、じつにおもしろい。

初回の94年から昨春までの16年分の選考所感のすべてに眼を通してみると、何よりもまず判明するのが、本展がモダニズム絵画の牙城であることだ。

「作品として自らを打ち立てるなかで絵画の根拠そのものを問いかける絵画。つまり絵画とはなにかを問いつづける絵画、これこそがモダニズムの絵画の真の姿であるといえよう」(本江、1995)

絵画によって絵画の本質を探究する絵画。その本質を平面性に求めるにせよ、色彩と形態に求めるにせよ、いずれにせよモダニズム絵画の画面は具象的というより抽象的であり、じっさい本展ではそのような作品が高く評価される傾向がある。その評価基準を支えているのが、「絵画」というジャンルを確信する強い信念にほかならない。

「平面の上での思索は、人間にとっての最も根源的な思索であり、時代とともにアクチュアリティを失ってしまうようなものではない」(建畠、95年)

「一見ジャンルの垣根があいまいになりつつある時代だが、平面における表現が本質的な意味を失うことはありえないはず」(建畠、96年)

繰り返し強調されているのは、時間的空間的な条件に左右されない、モダニズム絵画の普遍性である。VOCA展の選考委員会は「絵画の擁護者としての近代主義的な方向性」(建畠、95年)を一貫させてきたのである。

けれども、その確固とした評価基準が揺らぎ始めたのが、じつのところゼロ年代の大きな特徴だった。大まかに言えば、おおむね90年代後半までは、選考委員は古典的な美学理論を援用しながらモダニズム絵画論を仰々しく披露していたのだが、ゼロ年代になると次第に影を潜め、代わって出品作家たちを叱責するようなコメントが目立つようになる。

「今の若者を強くしかってはいけない。そんなことをすると、想像以上に彼ら彼女らの心を深く傷つけるらしい。繊細らしい。否、弱いらしい。確かにこの展覧会の作品を見ていても、強く烈しく訴えかけてくる作品は少ない」(草薙奈津子、04)

「どことなく収まりがよく、小さくまとまっている」(塩田純一、05年)

「いずれの作品もどことなく軽めです。予測のつかない不安な時代を反映しているような感じですが、どこか逃避的です」(酒井、06年)

いちように低い評価を与えているのは明らかだが、「どことなく」「どこか」「~らしい」「~感じ」という曖昧な言葉が示しているように、選考委員は十分咀嚼した上で評価を下しているというより、むしろ自前の評価基準では計り知れない、新たな絵画を前にして戸惑いを隠せていないのではないだろうか。それが証拠に、いまどきの若者を咎めるような言説は、たいていモダニズム絵画の原理原則を強調する言い方を伴っている。

「何かがそこにただ現われている、というまさに存在の神秘ともいうべきものに今こそ胸を打たれ、真に精神的であるべき未来に向けて、本質的な創造の道を疾走する時代がすでに到来しつつあることを忘れてはならない」(本江、00年)

「時代と正面から向き合っている場合には、絵というのは厚塗りになるものだよ。そこには当然、画家の内的戦いのエネルギーを感じさせるものを孕むことになるからね。これは単なる薄塗り厚塗りの、厚塗りではない。内発的エネルギーの浸透力とか、深くて強固な物質のもつ存在感だよ」(酒井、06年)

真正なモダニストである酒井と本江には、「存在の故郷」(本江、99年)、「存在論的な問い」(酒井、00年)、「存在の神秘」(本江、00年)、「存在論的な悲劇」(本江、07年)など、かねてから仰々しくも重厚な言葉を好む傾向が見受けられるが、しかしそれらが何を意味しているのかは、テキストを隅々まで読んでみても、まるでわからない。説教じみた教訓を繰り返すばかりで、「スーパーフラット」や「マイクロポップ」の要素をたぶんに含んでいると思われるゼロ年代の絵画を言語化する作業を、端から放棄してしまっているのだ。ついには、こんな驚くべき発言も飛び出す。

「映像の時代になると機器や素材との、ある意味で物理的関係になってきたから、ぼくなんかの出る幕ではなくなってきた感じがしている」(酒井、08年)

「だったら退場すればいいのに!」と誰もが思わずにはいられないだろう。選考所感を全体的に言説分析してみたところ、およそ05年あたりから、モダニズム絵画論の言説は絵画の同時代的な現実をとらえることができなくなり、絵画をめぐる言説は大きなパラダイム・チェンジを迎えたと考えられる。それは、抽象から具象へという表層的な変化ではなく、「従来の伝統的な絵画観では捉え切れないさまざまな作品の登場が、絵画というもののあり方をすっかり変えてしまった」(高階、00年)事態の到来であり、結果的に「絵画の意義を判断する批評基準に、大きな危機をもたら」(松井みどり、06年)したのである。念仏のように「存在論」を唱える言説は、そのような目前の危機からの逃避以外の何物でもない。ゼロ年代の絵画の多様性とは、全面的とはいえないにせよ、かつてほどの抑圧する力を持ちえなくなったモダニズム絵画論の失効に起因しているのである。

とはいえ、惰性に任せて延命措置を施すのではなく、はっきりと「終わり」を告げる批評的な言説がないわけではなかった。

「モダニズム絵画が虚構性を廃して平面性を追及してきたのは、虚構=絵空事となった絵画を拒否して、それが現実的であることを求めたためであった。その結果絵画は限りなく物体(現実)に近いものになった。そしてその試みは失敗に終わった、と思う。その結果私たちは絵画の中に私たちの心を深く満たしてくれるものを失ったのである」(山脇一夫、00年)

モダニズム絵画論の延命を引き続き図るのか、それに代わる新たな原理を捏造して空虚を充填するのか、あるいは拡散と混沌の時代をよしとするのか。10年代がはじまってしまった今、私たちその岐路に立っている。

初出:「国立国際美術館ニュース」176号、国立国際美術館、2010年

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