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貧しさと孤独から繰り出される表現の攻撃力

永山則夫。四人を殺害した連続射殺事件の死刑囚にして小説家。1969年の逮捕から1997年の死刑執行までの28年間、獄中で作家活動を続けた。

捨て子ごっこ』は永山の自伝的な小説で、母に捨てられ兄姉に虐げられながら極貧を生き抜いた半生が綴られている。だが衝撃的なのは、その物語の粗筋ではない。永山の鋭利な文体が、人の心に住みついた「鬼」を透かし、その影を読者の心の底にまで落とすからこそ、私たちは大いに慄くのである。

獄中の手記をまとめた『無知の涙』は、一転して永山のモノローグ。無知で無学だった永山は、服役中の読書により階級意識に覚醒し、やがて思考する人間へと成長する。この手記は刑務所の身辺雑記などではなく、マルクスからフロイト、ドストエフスキー、ファノンらの著作を渉猟しながら自己と世界を対峙させようとした哲学的な営為の証である。その粘り強い思考の軌跡に圧倒されるのだ。

しかし『無知の涙』は、二重の意味でもの悲しい。行間から溢れ出る無学だった過去の己を恥じる意識は、身に覚えのある読者の切ない共感を呼ぶだろう。とはいえ、恥の反発として自ら育んだ世界意識が、あくまでも一方的であり、誰からも応答されないまま獄舎の中で自転するほかないという事実を思い知るとき、私たちは愕然とせざるを得ない。無知の涙は、人知れず流される、孤独の涙なのだ。

永山にとって赤瀬川原平は、獄中の孤独から応答するに足る他者だったにちがいない。赤瀬川は反体制的な主題の漫画を収監中の左翼学生らに郵送する《獄送檄画通信》の一環として、永山が事件で使用した拳銃を描いた漫画を当人に送ったという。これを永山が目にしたかどうかは定かではない。しかし赤瀬川があの千円札事件の渦中で制作した「大日本零円札」について、永山は「この日本に『俺』より恐怖するに価する人物をまた一人発見できた訳である!」と狂喜しているのだ。百円札と零円札とを交換することによって貨幣経済の根幹を揺るがす。その可能性に、その芸術的な方法に、永山は塀の中から激しく共鳴したのである。

永山は赤瀬川の表現活動を「反体制的実力闘争」として評価しているが、むろん赤瀬川は政治活動を展開していたわけではあるまい。とはいえ赤瀬川のパロディ・ジャーナリズムを政治や社会と隔絶された純然たる美術作品として位置づけがたいこともまた事実である。それは、美術に依拠しながらも、政治や社会、犯罪や風俗との境界線上に踏み出す志向性を持っていた。本人の言葉を借りるならば、赤瀬川が傾注していたのは「表現の攻撃力」だったのだ。永山が惹かれたのも、この危険な攻撃性にほかならない。

現在の現代アートに欠落しているのは、この表現上の攻撃力である。既成の「美術」を踏み固めながら、経済的合理性に同調することや、地域社会に貢献することを目的としたアート作品に、刃や銃弾の力など到底望むべくもないからだ。だが、そのような攻撃力の根底に、程度の差こそあれ、赤瀬川と永山が共通して抱えていた貧しさと孤独があるとすれば、どうだろう。豊かさとつながりを重視する現代社会において、攻撃力のある芸術は成立不可能とならざるを得ない。しかし、今近づきつつある新たな貧困は、新たな芸術を要請するにちがいない。関係性の切断と孤独の中にこそ、未来の芸術は現れるのではないか。

初出:「Forbes Japan」(2015年1月号)

展覧会名:赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで

会期:2014年10月28日〜12月23日

会場:千葉市美術館

#美術 #アート #レビュー #永山則夫 #無知の涙 #捨て子ごっこ #赤瀬川原平

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