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倒されても倒されても何度でも立ち上がる「芸術」

「あるべきは高級で非情でみがきにみがきぬかれた技術のみだ。芸術なんだ、拳闘は!」。力石徹にとって拳闘はスポーツではなかったし、ケンカですらなかった。だからこそ宿命のライバル・矢吹丈と同じリングで拳を交えるために危険で過酷な減量に挑み、やがて生命を燃やし尽くしたのだった。寺山修司が力石の告別式を実際に執り行ったのも、おそらく彼の拳闘にスポーツやケンカを越える価値、すなわち「芸術」を見出したからではなかったか。

本展はちばてつやの原画はもちろん、アニメ版のセル画、玩具やレコードなどの関連グッズ、さらには「あしたのジョー」が連載された60年代後半から70年代前半にかけての美術やデザイン、広告、舞踏などを紹介したもの(現在は終了)。よど号をハイジャックした赤軍派が「われわれは明日のジョーである」という声明を発表したように、このマンガはマンガでありながらマンガを超え、時代を象徴する広がりをもったのである。会場には、あの時代特有の濃密な空気が立ち込めている。

ただ改めて振り返ると、本展で展示されているさまざま芸術作品と、力石が口にした「芸術」が決して同じではないことに気づく。60年代後半以後の芸術は、大衆消費社会を背景にした文化の一部となり、それゆえ芸術と非芸術の境界は相対的に不明瞭になった。「あしたのジョー」の人気は、そのようなポストモダン的な状況に乗じて爆発的に広がったのである。

だとすれば、力石が力説する「芸術」は、いくぶん懐古的な意味を帯びていると言わねばなるまい。なぜなら当時の芸術はすでに「低級で情にまみれみがきぬかれた技術」なんてなくても成立するものに変質してしまっていたからだ。大衆文化の記号をもとにしたポップ・アートはその最たる芸術である。いわば力石は「芸術」が不可能な時代にあってなお「芸術」を目指す反逆者だったのだ。

だから力石の死は「芸術」の死であり、その後長らく力石の亡霊に悩まされるジョーは「芸術」の影を潔く断ち切ることができずに煩悶する私たち自身でもある。力石という「芸術」を失ったジョーは、しかし、芸術を甘んじて受け入れたわけではなかった。逆に、芸術と「芸術」のギリギリの瀬戸際で踏ん張り、最後まで「芸術」を弄っていた。芸術に流されがちな私たちが目を奪われるのは、その「芸術」を求める抵抗の身ぶりにほかならない。

たとえば骨格の成長に伴いフェザー級への転向を進める丹下段平を尻目に、ジョーはあくまでもバンタム級に留まることを宣言する。「バンタムというところは、あの力石徹が命をすててまで、おれとの男の勝負のためにフェザーからおりてきた場所なんだ。ちょっとくらいつらいからってサヨナラできるかよ」。そして減量に減量を重ねて絞りかすのような身体で闘い、みごと東洋バンタム級のタイトルを勝ち取るのだ。

ここにあるのは単なる男のロマンティシズムではない。不条理で不合理、ややもすると生命すら脅かしかねないにもかかわらず、人を惹きつけてやまない崇高な何か。「アート」などという生ぬるい言葉では到底形容し得ない、人間の根幹をえぐり出す暴力的な何か。時代錯誤という誹りを受けてもなお、おのずと求めざるを得ない原始的な何か。それらを、わたしたちは「芸術」と呼んできたのだ。今後も「あしたのジョー」が読み返されるように、「芸術」は何度でも甦り、立ち上がるだろう。

初出:「Forbes Japan」(2014年10月号)

展覧会名:あしたのジョー、の時代展
会期:2014年7月20日~9月21日
会場:練馬区立美術館

あしたのジョー、の時代

※「あしたのために あしたのジョー!」展(世田谷文学館、2021年1月16日~3月31日)より


#美術 #アート #レビュー #あしたのジョー #芸術

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