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絵画の様式論(四)

「なるほど、そういうことだったのか」。抽象画ないしは抽象性の高い絵画を鑑賞していると、時折、このように合点がいくことがある。「抽象」という名の高邁で難解な濃霧が一気に霧消するカタルシスの瞬間に不意に襲われると言ってもいい。わたしにとって「辰野登恵子 オンペーパーズ A Retrospective 1969-2012」展(埼玉県立近代美術館、2月16日から3月31日まで名古屋市美術館へ巡回)は、そのような瞬間を体験させられた希少な展観だった。

辰野登恵子(1950-2014)といえば、とりわけ抽象性の高い絵画ないしは版画が高く評価されている美術家である。たとえば、2012年に国立新美術館が開催した柴田敏雄との二人展の図録は、辰野を「鮮やかな色彩と物理的な存在感に満ちた形象を特徴とする絵画により、現代日本を代表する抽象画家」と紹介している。じっさい、『日本近現代美術史事典』(東京書籍、2007)を開いてみると、辰野の名前は70年代末からの「絵画の復権」をはじめ、「ミニマリズム」、「ニュー・ペインティング」など、複数の項目の中に登場しているのがわかる。その画業が時代や様式を超えるほど長く幅広いことは、今のところ日本近現代美術の通史として読めるほぼ唯一の研究書である『美術の日本近現代史』(東京美術、2014)でも同じく確認できる。1968年に東京藝術大学の油画に現役で入学し、駒井哲郎の研究室で版画を学んだ辰野は、版画から絵画に転向したのち、ミニマリズムや抽象表現主義、ニュー・ペインティングなど、さまざまな様式を貫く独自の抽象性を獲得した。

ここで辰野の絵画を、必ずしも「抽象画」と断定しがたいのは、それが具象的なモチーフを描いているように見えることも少なくないからだ。70年代後半の版画は規則的な配列にわずかな差異やムラをフリーハンドで加えていた点で明らかに抽象だが、とりわけ絵画に転向した後の90年代から徐々に陰影や量塊性が画面に現われ、2000年代になると、ついに再現的なイメージが強くなる。たとえば《TWIN COLORS(Aug-3-2002)》(2002)の主題は積み上げられた箱のようだし、《Red Line・Blue Line》(2004)のそれはどう見ても本のない本棚にしか見えない。とはいえ、辰野は抽象から具象に転向したわけではなかったし、そもそも抽象/具象という二項対立によって理解されることすら拒否していたようだ。


「私は、画面そのものの作り方は、抽象以外の道はないと思っています。具体的なものを描く人でも、絵を描くときは、抽象的な作業をやっているのです。セザンヌであれマティスであれ、対象から離れて独自の空間を作り上げています。画家は具体的なものを写すのではなく抽象的な空間を探すのです」*1


つまり辰野にとっての抽象とは、たんに具象の対概念としてあるわけではなく、絵画というメディウムに取り組む画家の本質的なエトスだった。抽象表現主義やミニマリズム、ニュー・ペインティングが様式だとすれば、それらの基底にある抽象こそが辰野の「様式」だったとも言えよう。


*1 『与えられた形象:辰野登恵子 柴田敏雄』展図録、国立新美術館、2012年、p80


では、辰野はどのように抽象的な空間を探していたのだろうか。言い換えれば、辰野にとっての抽象的な作業とは、どのような形式にのっとっていたのだろうか。

そのことを一瞬で了解させられた作品が《Oct-1-98》(1998)である。これは、原稿用紙のマス目を部分的に黒い線でなぞりつつ、それらの内側を白く塗りつぶしたもの。決して大きな作品ではないし、タブローというより、むしろドローイングのようだが、辰野の「様式」を如実に物語っているように思われる(ちなみに、辰野は1995年に東京国立近代美術館が開催した、彫刻家の若林奮の個展「素描という出来事」に短いエッセイを寄せているが、そのなかで、描かれた絵画と画家の内なるイメージとのあいだには「想像もつかないぐらいの道のり」があると告白する一方、「ドローイングは発生そのものであり、イメージの在処といった漠然としたものを、瞬間的に、指さしてくれる矢印のようなものである」*2とタブローとドローイングの違いを定義している。この原稿用紙の作品は、まさしく辰野にとっての「矢印」であるように思う。辰野が若林のドローイングを前にして「矢印の先が"見えた"感じがした」のと同じように、わたしはこの原稿用紙のマス目の作品に辰野の矢印の先を見たような気がした)。


*2 辰野登恵子「イメージの在処」、『現代の眼』No.483、1995年2月


原稿用紙は200字詰め。その中央にあるおよそ4行分が白と黒で塗りつぶされている。むろん、それらはマス目の中に忠実に置かれているわけではないので、黒い枠がマス目からはみ出したり、内側の白が黒い枠を覆い隠したりしているところもある。全体のフォルムもいびつである。しかし、だからといって地のマス目の規則性を攪乱するほど、大胆な図が出現しているわけでもない。むしろ、図が置かれることによって、地の整然とした秩序が際立つほどだ。いや、もっと言えば、この作品が描いているのは、地と図の関係性そのものではなかったか。多くの画家が図としてのイメージを描写しがちなのにたいし、辰野は地と図の関係性自体を問いかけていたのではなかったか。抽象が本質的なものを抽出する身ぶりを指しているとすれば、辰野は図を抜き出そうとしていたのではなく、地と図の関係のありようを何とかしてとらえようとしていたのではなかったか。

連続性と反復——。辰野にとっての一貫したコンセプトである。すなわち、ノートの罫線や方眼紙、原稿用紙のマス目、網点など、「整然と並んでいるものをじっと見ているのが大好き」*3だという。とはいえ、辰野にとっての連続性と反復は、たんなる個人的な嗜好性にすぎないわけではない。原稿用紙の作品が明示しているように、それは制作の出発点だった。辰野はつねに何かしらの連続性と反復から制作を開始していたのであり、逆に言えば、辰野の作品の根底にはつねにそのような連続性と反復が地として隠されているのである。事実、初期のミニマルな版画がいくつもの版を重ねながら直線の切断や版のわずかなズレを見せようとしていることは明らかであるし、《WOK 80-N-1》のように、連続的な反復をもたらす規則性を徐々に乱してゆく過程を視覚化した作品もある。辰野自身は「これは私のおそらく永遠のモチーフで、時代とともに姿を変えて登場してくるでしょう」*3と言い表しているが、正確に言えば、連続性と反復は作品の主題というより、むしろ制作の前提条件として考えるべきだろう。


*3 「INTERVIEW 辰野登恵子 版画と絵画の往還」、『版画芸術』102号、1998年12月


重要なのは、そのような連続性と反復が辰野にとっての与件だったことは事実だとしても、わたしたちがそこに見出すイリュージョンは、連続性と反復そのものというより、それらからの逸脱だという点である。原稿用紙の作品がマス目をなぞりつつ、その枠からはみ出る動きと意欲を感じさせるように、辰野の絵画はつねに連続性と反復を基底としつつ、そこから逸脱する運動性を体感させるのだ。規則的な秩序をある程度従順に受け入れつつ、そこからの反逆的脱出を試みていると言ってもいい。この観点から辰野の画業を振り返ってみると、わずかな差異やズレ、隙間を生み出しながら、自由と解放を求めて試行錯誤した軌跡を、画面の随所に見出すことができるはずだ(ちなみに、多くの論者は辰野の連続性と反復を——おそらくはドゥルーズを暗示させる目的で——「差異」というキーワードで理解しているが*4、「差異」では運動のイリュージョンを把握することは難しい。枠から外れる動きをとらえるには、やはり「逸脱」がふさわしい)。


*4 本江邦夫「絵画の同伴者としての版画」、『版画芸術』102号、1998年12月/南雄介「与えられた形象——序論」、『与えられた形象:辰野登恵子 柴田敏雄』展図録、国立新美術館、2012年


もっとも、辰野の逸脱は最終的な着地点を獲得したわけではないし、そもそもそれを見込んでいたわけでもあるまい。とりわけ後期の大規模な絵画は他に類例を見ないほどのボリュームで見る者を圧倒する反面、色彩に依存している傾向が強く、逸脱のイリュージョンは薄いと言わざるを得ない。だとしても、辰野登恵子は今日のわたしたちに大きな示唆を与える美術家であることにちがいはない。なぜなら辰野は絵画の中で、ひとり、近代と格闘していたからだ。

モンドリアンを改めて持ち出すまでもなく、近代は直線で世界を区切る発想と力学にもとづいていた。辰野が偏愛しつつ、また制作の与件として考えていた連続性と反復とは、すなわち、近代そのものである。ルネサンス以後のヨーロッパ絵画が眼で見える世界の再現というイリュージョンによって成立し、翻って20世紀以後のモダニズムがそのような再現的イリュージョンに代わる絵画独自のイリュージョンを模索してきたとすれば*5、辰野の抽象的な絵画もまた、大きくはモダニズム絵画の範疇にある。だが、多くの抽象画家が抽象表現主義の亜流に居直りがちなのとは対照的に、辰野はモダニズムの中心からどうにかして逸脱しようとしていた。あがいていたと言ってもいいのかもしれない。ポストモダンを享楽的に謳歌するわけではなく、プレモダンにロマンティクに回帰するわけでもなく、身につけてしまったモダンという価値観を内側から突き抜けること。近代の「不毛」*6をまざまざと実感することが多い昨今、辰野登恵子による近代の「アンラーニング(unlearning)」を「様式」としてとらえなおすことには、たとえそれがイリュージョンだとしても、展望がある。


*5 中原佑介「絵画についての断章」、『中原佑介批評選集』第四巻、現代企画室+BankART1929、2013年/アーサー・C・ダントー「うつつの夢」、『アートとは何か 芸術の存在論と目的論』人文書院、2018年

*6 「豊饒なる不毛。辰野登恵子+宇佐美圭司」、『ACRYLART』vol.16、1991年8月


辰野登恵子 オン・ペーパーズ A Retrospective 1969-2012
会期:2018年11月14日〜2019年1月20日
会場:埼玉県立近代美術館

会期:2019年2月16日〜3月31日
会場:名古屋市美術館

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